宗教が続く理由(私の考え)

自分を信じられないから自分の選択に後悔するし、自分を責めてしまう。では他人を信じるのはどうか。他人について行けば自分は選択に責任を持たなくていいし、何かあっても他人を責めればいい。しかし、その他人について行く選択をしたのは誰か?それは自分である。

親が「何かについていく人」で、子供も分別のつかないうちに同じようにさせられてたとしたらどうだろう。本人は、ついて行く決断すらしていない。だから自分を責める必要は無い。きっと昔からの宗教がなかなか途切れないのは、責任を持った決断をあまりしなくてすむからではないだろうか。

宗教系の人には「それは違う」と言われるかもしれないけれど、でも実際そういう人は多いのではないだろうかと思う。

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