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にがうりの人 #26 (ひび割れた憤怒)

「何を言っているんですか」
「だーかーらー、加藤成美ちゃんは榊の女なんだってよ」伊東が横槍を入れる。
「もう付き合い始めてから二年くらいかな」何気ない口調で榊は言った。
 動揺というレベルではない。頭の中が混乱しすぎて自分でも何を聞くべきなのか何をすべきなのか分からなかった。文字通り絶句だった。
「おいおい、もっとこう、激怒したりしねえのかよ」
 榊はそう言ってタバコの煙を吹きかけてきた。そして、衝撃的な言葉を口にした。

「俺はなあ、お前を殺したい程憎んでいるんだよ」

 眼光は殺気と悪意に満ちている。それは彼の言葉が嘘偽りない本音である証拠だった。

「成美と付き合い始めて、たまたま奴の卒業アルバムを見たんだ。そこでお前の存在を知ったんだよ」榊は据わった目を向けてくる。
「俺はやるべき事が見つかったと思ったね。だから仕事も辞めてお前に近づこうと画策した。まずは成美をそそのかしてお前の職場に働かせたんだ」
 混乱して思考の整理がつかない。だが、少なくとも罠にはめられた事だけは認識した。
「ちょっと待って下さい。なぜ榊さんが僕を憎むんですか?そもそも僕に親切にしてくれていたじゃないですか」
「親切?馬鹿か」
まるで汚物を見るように榊は吐き捨てた。
「お前により深い絶望を味わせる為だよ」榊は含み笑いを隠しもせず、やがてそれは高笑いに変わった。
「見つかった認知症の母親ってのもなかなか手が込んでいただろ?そりゃあ他人に娘ですって言われても知らないって答えるわな。あの入院していた加藤ってばあさんもよくやってくれたもんだよ。まあ、誰だか知らねえけど」
 そして榊の目はさらに炯々と光った。
「それに真田ファイナンスなんて金融屋も無いからな。こいつ、伊東の会社の連中に頼んで一芝居うってもらったんだ。やっぱり闇金はやることがえげつないわ」
 榊は伊東の顔を見て嫌らしく笑う。そしてまるで鬼の様な形相で私を睨んだ。

「お前の大切なものは根こそぎ奪ってやる」

 気づくと私はテーブルを飛び越え榊に飛びかかっていた。コーヒーカップが床に落ち、閑散とした店内に派手な音が響く。
「こらこら、暴力はいけないだろ」
 激しく動揺する私を伊東が私を押さえつけた。言葉にならない叫びと榊に対する罵詈雑言が穏やかだった店内を切り裂く。
「なぜだ!僕が何をしたって言うんだ!」
 榊は笑いながら一人席を立った。彼の表情は店内の照明を背後にしているせいで読み取れない。
「悔しいか?なんで自分がこんな目に遭うのかと思うか?うらむなら悪魔の肉親の元に生まれた自分の境遇を恨め。本当はこれぐらいじゃ俺ら家族の気は済まねえけどな。殺されなかっただけありがたいと思えよ」
 その言葉に今度ははっきりと冷たいものが背中をつたった。

「あんた何者なんだ」私は声を絞り出した。

続く

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