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にがうりの人 #27 (抗えぬ花火)

「まだ思い出さないのか?」榊は私に顔を寄せる。そして声を出して笑った。

「俺の本当の名前は高木徹弘だ。お前ら家族に人生を台無しにされた高木だよ」

 高木徹弘。その名を聞いて私は血の気が引いていくのが分かった。そして全身の力が抜けていく。
「お前はだまされたんだよ。結局借金だけ残ったけどな。ただ、借りたものは返す。これ常識」軽薄な口調で伊東は私を羽交い締めにしたまま事も無げにそう言った。
「それどころじゃない」
 力なく私が呟くと、伊東は私の襟裳とつかみ、顔を近づけた。生臭い息がかかる。
「成美だの榊だの全部幻だったってことだろ。でもお前は現実に金を借りてるんだ。俺は何が何でもお前から回収するつもりだからな。逃がしはしねえよ」
そう言うと急に手を離し、私は椅子に鈍い音をたてて臀部から落ちた。
「あんたは、全部知っていたのか?」
 伊東は私の問いににやりと口元を緩める。
「言っとくけどな、俺はこの榊も成美も、ましてや高木なんてのも知らねえよ。ただ、お前に金を貸してやってくれと頼まれただけだ。お前くらい若ければなんでもやってくれるだろ?」そこで再び不敵に笑った。
「お前、俺の事極道かチンピラとでも思ってるんだろ?そんなんじゃねえ。一介のサラリーマンよ。ただ、このご時世やくざよりも怖いのが俺らみたいな金融屋なんだぜ。極道は筋を通すし義理がたいけどな、俺らにはそんなもん、関係ねえ」
そこで高木は席を立った。
「後はお前達で話し合えよ。俺はもうやる事はやったからな。せいぜい頑張って地獄を見てくれや」
「ちょっと待てよ」
 私の声にも耳を貸さず高木は店のドアに手をかけた。そのとき思い出したように振り返った。
「ああそうそう。成美は純粋で騙しやすかったよ。従順に調教するのも訳なかったぜ。さすが、心理学専攻の大学生、いろいろ役にたったしな」
まるでのっぺらぼうが話しているようだった。もはや表情は読み取れない。高木は続ける。「でもな、途中からお前の事を気にかけるようになりやがってよ。こんなこともうやめようとかぬかしやがったから予定を早めたんだ。それだけでも救われたと思え。じゃあな」
 高木はそうして私の前から姿を消し、伊東も散々私を脅しつけて消えた。

✴︎

 私には借金だけが残り、後の全ては雲散霧消した。
 初めて恋をした成美も彼女との思い出も、それを信じていた自分も。

 それから私の人生は一変する。

 借金のため大学を辞める事になった。
 地獄だった。自分が信頼していたものを全て失い、私は打ちひしがれ、無惨な現実だけが残ったのだ。

 私は彼女を心の底から愛していた。
 全てを自分と重ね合わせていた。
 それもこれも私自身のエゴであり、都合のいい思いだったのかもしれない。
 ただ、高木が最後に言った成美は純粋だったという事。それだけは脳裏に焼き付いて離れなかった。

 成美は本当に悪人だったのだろうか。

 しかし今となってはどうにもならない。とにかく私は全てを奪われ、初めての恋は最悪の結末を迎えた。
 誰もいない。
 私には誰もいない。
 頭の中で常に反芻するようになった。

 こうして私の人生は二十一歳にして奈落の底へ突き落とされたのである。

続く

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