「漫画と科学」寺田寅彦著(青空文庫)
数学とか理論物理学とかは、芸術とかアートなどとは全く異質な人が考えたり創りだしたりしていると考える人は多いかもしれない。文系と理系にすぐわけたがる人がそうだ。寺田先生はものすごい数の随筆を書いているが、「科学者とあたま」(頭のいい人、悪い人https://note.com/ozzybot8/n/nfbe8fad001d9 とか「科学者と芸術家」(これは前回紹介した)とか、一見、相反する概念に対して考察し、その根本的なところは源流は同じではないか、と論じている。この「漫画と科学」もそういった一見、相反するもの同士が実は「真」を目指しているという点で同じである、と論じている。以下、引用だが、興味があれば全文を読んでも10分ぐらいしかかからないのでぜひ薦めたい。
科学上の業績は単に分析にのみよって得られるものと考えるのは、有りふれた、しかし大なる誤謬である。少なくも優れた科学者が方則を発見したりする場合には直感の力を借りる事は甚だ多い。そういう場合には論理的の証明や分析はむしろ後から附加されるようなものである。また一方において漫画家の抽象は必ずしも直感のみによるとは考えられない。たとえ無意識にしろ、直感で得た暗示をだどって確かなある物を把握するまでの道筋は確かに一種の分析である。それでこれらの点における両者の精神作用の差違はあっても僅少なものである。
漫画の目的とするところはやはり一種の真である。必ずしも直接な狭義の美ではない。ただそれが真であることによって、そこに間接な広義の美が現われるように思う。科学の目的もただ「真」である。そして科学者にとってはそれが同時に「美」であり得る。
漫画が実物に似ていないにかかわらず真の表現であるという事は、科学上の真というものに対する多数の人々の誤解をとくために適切な例であるように見える。漫画が実物と似ない点において正に実物自身よりも実物に似るというパラドクシカルな言明はそのままに科学上の知識に適用する事が出来る。
ただ科学は主として物質界の現象に関係しているために、換言すれば人間の能知と切り離された所知者自身の間の交渉に関しているために、科学上の方則は科学者の個性と切り離され、従ってその表現は単義的普遍的なものになっている。これに反して漫画家の対象は人間に関係したものであるために、このような分離が困難になり、表現は十人十種になって作者の個性の香が高くなるのは止むを得ない。しかしあらゆる可能な漫画家を一団として見る時には、各画家を微分とした無限項の和としての積分は渾然たる一つの定まった極限値を有する「真の」一面と考えるに不都合があるだろうか。
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