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思い返せばアオハル

誰にでも子ども時代があり、そして青春がある。

昨日は選抜甲子園の出場校発表がありましたね。
喜びを分かち合う坊主頭の選手たちを見ていたら、思い出した人がいます。
今日書こうと思うのは、ずい分昔の思い出話です🤗




亨と書いて「あきら」と読む名の男の子。
中学校を卒業してもう40年も経つけれど、あなたは今も、元気いっぱいに過ごしていますか?

不意に当時のことを思い出し懐かしくなりました。どこにでもある青春の1ページですが、記憶に残っているうちに書き残しておこうと思います🤗

きっと亨くんが読むことはないでしょうけどね♪


亨くんは、サッカー部。
全員強制の坊主頭で真っ黒に日焼けをした子でした。休み時間はグラウンドが居場所で、必ずどこかに土をつけて帰ってくる男の子。

わたしの休み時間はというと、ほとんどが教室。時々おしゃべり、時々読書のインドア派。一見真逆な亨くんとわたしは、それでもなんだかよく気が合いました。

わたしは会話のテンポがのんびりで、早口のおしゃべりには取り残され、口を挟む間もなく頷くばかりですが、亨くんはわたしのテンポに合わせて、ゆっくりと話を聞いてゆっくりと返してくれました。

まだ、恋なんてものはよく分からなかったけど、話をしていると、ほっこり心が温かになりました。


中学生生活も残り半年になろうかという9月。わたしはすっかり体調を崩してしまっていました。
後についた病名は、「思春期鉄欠乏症」なんて気恥ずかしいものでしたが、もともと鉄を欠乏しやすい体質に加えて、バレーボール部員だったことも重なり、気がつけば階段を上がることもままならないほど、貧血は悪化していました。

抵抗力が落ち、発熱を繰り返し、さらに処方された抗生物質にアレルギーを発症して、とうとう入院をすることに。中学3年生の10月を、まるまる病室で過ごすことになったのです。


仲良しの友達は、放課後に立ち寄るところができてよかったようでした。わたしの病室はひとり部屋だったので、毎日のように友達が来てはおしゃべりをしていきました🤗
もともと、ひどい貧血とアレルギーによる反応が治るまでの管理入院なので、ベットでゆっくりしていれば、それほど具合いが悪いわけではなかったのですからね。

それでも、学校祭が近づくにつれて病室を訪れる友達も少なくなりました。町内を練り歩くお神輿の製作が忙しくなったからです。

亨くんがお見舞いに来ることはありませんでした。
お節介な友達が何度も誘ったようですが、中3の男の子が、女子の(しかもパジャマ姿の)病室を訪れるなんてハードルが高かったようで、お見舞いの手紙だけが届きました。

中3女子だったわたしも、病室で会うのは恥ずかしく、でもゆったりとした亨くんとのおしゃべりタイムが懐かしくて、退院の日を待ち侘びていました。


お神輿担ぎの日がやってきました。
中学最後の学校祭には参加したい気持ちでいっぱいでしたが、体調の回復が思わしくなく一時退院も叶いませんでした。

ただひとつだけ嬉しいことがあったのです。
お神輿のコースは、病院前の道路を通るのです。
それを知り、仲良くなった入院仲間の方が、道路に面した病室に招いてくれたのです。

わたしに気づいたみんなが、手を振りながら通っていきました。それを見てわたしも病室の窓から手を振りました。
亨くんは、ぴょんぴょん跳ねながら手を振っていました。だから、すぐに分かりました。


亨くんとわたしは、お付き合いの約束も何もない間柄でした。
でもちゃんとお互いが大切な存在だと分かり、相手もそれを知っている仲だったと思っています。

卒業をして別々の高校に進学をし、それからは一度も会うことができずにいます。

きっと、いいおじさんになっているでしょうね。
わたしもすっかりおばさんで、孫がいるから本当はおばあちゃんになっているのですものね。

人生の様々な道のりを歩んだ先に、もし亨くんと会うことができたなら、またあの優しい調子でお話しできると嬉しいです。

心を繋ぐことがどれほど温かなことなのか、それをはじめに教えてくれた亨くんとの、青い春の思い出です。

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