見出し画像

「仕方ない」という言葉がはらんでいる、ゆるしの空気がすき。

「しかたない」ということばが、すきだ。

もっと言えば、

「仕方なかったよね」

という言い方がすきだ。

そう、ぼくらには

「仕方のないこと」

って、たくさんある。

たとえば、

「どこに生まれるか」
「どんな親のもとにうまれるか」
「身長、容貌(かお)、髪質、肌質など」

「ぜんぜん決められないこと」

ってたくさんある。

「どんな才能を持つか」
「どんな時代に生まれるか」
「どんな感性を持つか」

っていうのは、ほとんど

「受動的に決められていて」

ぼくらは、

「カードが配られた状態」

で人生をスタートする。

もうスタート時点から

「仕方ない」

ことだらけだ。

だからこそぼくは、いつでも

「仕方ない」

からはじめたい。

そして、何かあやまちを犯したとしても、

「そのときの自分にとっては、最善の選択だった」

と思いたい。

たしかに、いま考えれば

「バカなことをした」

と気づけるんだろう。

けれども、それは

「いま、ここの自分」

だから見えるのであって、

「当時のじぶん」

としては、

一生懸命にかんがえた、

「最善の選択だった」

はずなんだ。

だから、そんな自分をゆるしたい。

過去のじぶんに、やさしくしてあげたい。

「お前は、よくやったよ」

と。

そして

「できなかったこと」
「達成できなかったこと」
「逃げてしまったこと」

に対しても

「あのときは、仕方なかった」

とゆるしてあげたい。

「そうしか、できなかった」

それはそれで、仕方のないことだ。

たとえば、逃げるしかなかった。
たとえば、言い返せなかった。
たとえば、震えることしかできなかった。

それは、そのときには

「仕方のなかったこと」

なんだ。

だからこそ、

「仕方なかったね」

ということばを置いておきたい。

そして

「仕方なかった」

と、やさしくゆるすことによって

「だからこそ、今はこうありたい」

という希望が生まれてくるんだと思うんだ。

「仕方ない」を受けいれるということ。

すべては、ここからはじまるんじゃないかと思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?