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有意義な毎日じゃなくていい。
「有意義」という言葉が、人を苦しめることがある。
「有意義に」と意識してしまうことで、
「無意味」
があるように感じてしまう。
しかも
「有意義がよくて、無意味はよくない」
というジャッジまでついてくる。
ぼくは思う。
「本来、いのちに意味などない」んだと。
ただ、それだとあまりに虚しく感じるので、
「とりあえず」
一人ひとりが、「意義」や「意味」みたいなものを後づけしているに過ぎない。
有意義に生きようが、
ダラダラと生きようが、
価値は変わらない。
1日をボーッと過ごしてしまった。
無為な休日にしてしまった。
なにもせずに終わってしまった。
だから、どうした。
何が悪い?
「ユウイギ教」のほうが、よっぽど人を苦しめているのではないか?
「有意義」など、頭の中で作り出した妄想に過ぎない。
ネコの生き方は無意味か?有意義か?
「人は猫とは違う」
と言い切れるか?
「有意義」に、こだわることは、ないと思う。
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