ひとり起業家は自分を変えるな。

「過去と他人は変えられない」

なんて話を聴くと、「つまらないなー」と思っちゃう僕です。

手あかのついた言葉は大嫌い。

「けれど、自分と未来は、変えられる!」

そんなフレーズが恥ずかしく感じるのは、俺だけなのか…!


ホンネ哲学では、まず

「何も変えなくていい」

と考えます。

なぜなら、「変えよう」とするエゴこそが、「変われない」の要因になっていることが多いから。

「変容」のためにまず必要なことは「受容」です。

つまり「変えなくていい」という「受け入れ」があってはじめて、

「ゆるみ」が起こり「あそび」が生まれ、

そこに「変化の余地」が生まれるのです。

だからこそ僕は、

「じぶんを変えたい!」

というエゴには要注意だと考えているのです。

「じぶんを変えたい!」と思えばこそ、

「変えなくていい」という「受け入れ」が必要になるのです。

では、そのために必要なことは何か?

それは

「じぶんの取説」

をこしらえることです。

つまり、「じぶん」に対して「傾向と対策」を練る。

それは「じぶんを知る」ということです。

”変えられない”じぶんの個性、強み、弱み、特性、習性、クセ、そしてホンネをよく「知る」ことです。

そしてそれは「変えられない」ので、「扱い方が上手になる」のがよいのです。

ピーマンやゴーヤの苦みをなくしたら、その「味」がなくなってしまいます。

同じように「欠点を無くそう」と考えたら、ぼくらの「うまみ」も消えてしまいます。

だからこそ、「個性、強み、弱点」の「活用法」を考えるのです。

それが「じぶんの取説」を創るということです。

そして「じぶん」に対して、「取り扱いさえ間違えなければ、ちゃんと活用できるんだ!」と感じるということ。

これが「自信」です。

「繊細で傷つきやすい」
「メンタルがブレやすい」
「ついマジメに、深刻に考えてしまいがち」

これは、ぼくの特性そのものですが、上記の特徴が当てはまる人も多いでしょう。

しかし、これはぼくの欠点でありながら、この欠点があったからこそ、

「ホンネ探求メソッド」

が完成したのです。

ぼくがこころもからだも強くて、マッチョな思考な陽キャで、生きづらさを抱えることがなかったら、

「ホンネ探求メソッド」

が生まれることもなかったでしょう。

ホンネ探求メソッドは、マジメで繊細、深刻になりがちな僕のためのメソッドです。

そのメソッドによって、ぼくが「変わった」とか「治った」ということはありません。

ぼく自身は変わっていないのです。

ただし「じぶんの取り扱い方」が上手になり、「ケアの仕方」が分かったことで、どんどん生きやすくはなってくるのです。

だからこそ僕は

「他人じゃなくて自分を変えよう!」

とは思わないのです。

そうじゃない。

ただただ、「じぶんの取り扱い方」が上達すればいいのです。

そのために大事なのは、

「じぶんを見る」

ということです。

まっすぐに、じぶんを観てみる。

イヤな部分もあるかもしれないけれども、かならず「いいところ」があります。

丁寧に見てみると、意外に可愛い部分もあったりする。

「嫌い!」「ゆるせない!」「みとめられない!」

そういうふうに思うこともあるでしょう。

でも、今はそれでいいのです。

今はまだ「才能の調理の仕方」が分からないだけなのです。

真っ赤なお鼻のトナカイさんも、昼には「じぶんの良さ」が分からないのです。

だから「調理しきれない」のなら、冷蔵庫にしまっておけばいい。

無理に認めようとがんばらなくていい。

「どうしようもない自己否定感」も、抱えてゆけばよいのです。

そういうことも、ぼくが「自己否定感」を抱えているからこそ、分かることです。

自信満々だったら、そういう方の気持ちは分からない。

メンタルが強くない僕だからこそ、分かる気持ちというのがあるのです。

このように、あなたの「弱み」から生まれる商品やサービスがあります。

あなたの欠点があるからこそ、お客さんと共鳴・共感できることがあるのです。

だから「ひとり起業家は、自分を変えてなくていい」のです。

「すごくなくていい」し、「人より秀でている」必要もないのです。

大切なのは、「じぶんを観る角度」を少しだけ変えてみること。

そうしたら、邪魔だと思っていたダイコンの葉っぱが、おいしい漬物になったりします。

ってわけでね、

「じぶんを変えなくていい」
「そのままの性質をどう取り扱うかの説明書をつくればいい」

っていうのを、覚えておいてほしいな(*^-^*)

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