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『学校に行かない僕の学校』刊行エッセイとわたしの個人的激震について

以前に出版した中学受験を舞台とした物語『きみの鐘が鳴る』を執筆するにあたり、いまの子供たちがどういうことに悩んでいるのかを調べている中で、学校に居場所がない子供たちがたくさんいることを知った。

わたし自身も、小学校はそんなに好きな場所ではなかった。
あとがきにもあるように、給食がとにかく苦手で、作ってくださる方には申し訳ないけれど、毎日の給食がとても苦しかった記憶がある。
とくにクリーム系のものが苦手で、冷えたクリームシチューのゴムのようにかたい鶏肉はトラウマになったと言えるほど。
でも残すことは許されない時代だった。お昼の掃除の時間、机を下げられても、わたしはたいてい残って食べなくてならなかった。しかたがなくいつも牛乳で飲み込んでいた。喉をなかなか通り抜けてくれないと、ずっと違和感が残って苦しい。それを流すために、牛乳はあっという間になくなった。

五.六年生の担任の先生は理解してくれた。
わたしを最後に並ばせて、鶏肉をできるだけよけて配膳するように言ってくれるようになり、その時は本当にうれしかった。
それでも給食が苦手だという意識はもう払拭できず、渡り廊下を通る時に給食室からの匂いを嗅ぐだけでも胃が重くなってしまうのだった。

学校ではないけれど、四年生の夏に母が申し込んできた勉強の五日間ほどの合宿でも、チキンのローストが出て、それも完食するまで許されず、わたしともう一人男の子が食堂に残された。
夜の9時、ほとんどの電気が消され、わたしと男の子の上だけ電気がついた食堂の光景は、いまでもはっきりと覚えている。
9時すぎて、先生が戻ってきて「よし、よくやったな」と言って、ようやく解放された。
いったい、何がよくやったんだろう。
大人になったいまでも、むかむかする。

中学校、高校はそれなりに楽しかったけれど、いつも楽しいばかりではない。
もっといえば、死ぬほど楽しいこともあれば、死ぬほど嫌なことも経験する。
それが思春期、10代という時間帯なのではないかと思う。
大人になるというのは、よくも悪くも、経験値によって、感情も平均化させてしまう。
すごく楽しいのに、まあ、そんな感じね、とクールに振る舞ったり、
すごくつらいことも、まあ、そういうこともあるからね、とやりすごしたり。
そうしてフラットにできることも大事なことだろう。

要するに何が言いたいかというと、何かのきっかけで学校に行きたくなくなったりするものだ。
昔の先生が、よくわからない方針でわたしを夜の9時まで苦手なローストチキンを食べるように強要して、それがあたかも「教育」であるかのように示したことを思えば、先生や学校という場所が、つねに「正しさ」を与えてくれるものとも、わたしは思っていない。
もちろん疑ってかかっていいとも思わないが、そこに合わない、納得できない、という自分がいても、だからダメなのだと自己否定しなくてもいいと思う。


ところで『学校に行かない僕の学校』を執筆している途中で、我が家にも激震が起こった。
中学受験して私立の学校に通っていた長男が、中二の二学期の終業式の日、
「俺、この学校やめたい」
と言い出した。

詳しいことはプライバシーのこともあるので書けないが、入学早々、彼には合わないようではあった。
でも友達もたくさんできて、楽しんでもいたし、そのうち軌道に乗るのだろうと見守っていたのだが……ようは、とにかく担任の先生とそりが合わなかった。
熱心な先生だったと思う。
ただ、行きすぎているように感じることもあるにはあった。
おそらく、先生もメンドーな生徒だなと思っていたことだろう。

そのXデー。
わたしは仕事で外に出ていて、なので午前中に帰ってくるであろう長男のためにお弁当をダイニングテーブルに置いて出かけた。

で、わたしは5時に帰宅。
すると、ダイニングテーブルにお弁当が手付かずで置かれているではないか。
なんで食べていないんだろう? というかカバンもないし、帰ってきている様子がない。

そう思っていたら、長男が帰宅した。

え? お昼ご飯も食べさせないで? 
わたしもかなりモヤモヤしたが、頭ごなしに先生を否定するのもよくないような気がして、
その理由を聞いてみると……。

彼は大事な?課題をしておらず提出できなかったとかで、担任に残されていたという。
どれだけ大事な課題かと見たら、プリントの問題を解いてノートに貼るというもの。
20枚だか30枚だかあって、それを日々ノートに貼って学期末に提出するように言われていたようだ。
息子は1ページもやっていないかったようで(それはダメです!!)、すべてするようにいわれたようだ。
やるべきことをしていないのはもちろん、もちろん、ダメだろう。
でも、成長期の中学生のお昼を抜いてまで、居残りさせて、強いるものなのだろうか。

すると、先生からも電話がかかってきた。
事情は息子から聞いたことと同じだった。
すみません、なかなか終わらず遅くなってしまいました。と謝ってもくれました(当然でしょうけど)。
わたしも混乱しつつ「ご指導ありがとうございます」と言って電話を切った。

目を真っ赤にしながらお弁当を食べていた息子を見ながら、もやもや……。
すると、食べ終えた息子が言ったのだった。

「俺、この学校やめたい」

それから二時間ほどいろいろ話しただろうか。
やめたら高校受験があるけどいいの? 
また受験するの? 
大変だよ? 
受験が趣味っていうのならいいけどさ……。

それでもいい。
とにかくやめたい。
高校受験するからやめさせてほしい。

優柔不断なのに、一度心を決めたら驚くほど頑固な彼の性格はよく知っている。
もう引き止めることはできないし、
正直、引き止める理由もあまり見つからなかった。
彼がしたいようにすればいい。

それが金曜日の夕方のことで、
週が明けてすぐに、学校に退学したいと電話し、その後に区役所に転校届を出したのだった。

予定どおりなんて、人生にはない。
人生の予定なんて、そもそもないだろう。
紆余曲折があって、くねくねしながら歩くから見えてくる景色もある。

いまは高校生になった長男はめちゃくちゃ楽しそうに学校生活を送っている。

だから、心から思っている。
合わない場所にいることはないし、合う場所を見つければいい。

それに以前出した『きみの鐘が鳴る』では、中学受験に失敗なんてないというメッセージを込めたが、本当にそうだった。

中学受験して入った学校をやめてたって、それはそれ。
だからといって、それは失敗ではない。
これまで頑張ってきたことは血となり肉となって、思いがけない道を進んでもたえられる脚力となってくれている。
そして、どんどん転べばいい。
転んだら、起き上がる練習になる。
転んだらもう終わりだなんて、思わないでほしい。
転び方を練習してこなかった大人こそ、大怪我をしてしまうから。
『学校に行かない僕の学校』は、そんなわたしの個人的な激震経験もあって書かれたのだった。
親子でいっしょに読んでもいただけるので、
ぜひ。
(このエッセイは息子の許可を得て書いています)

中学受験に挑む12歳たちの青春小説(ポプラ舎刊)


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