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走り出したら、自分で磨け。

2017年は私にとって「過ぎ去ってしまった」1年だった。

この1年、わけがわからないような、盲目的な、そして見て見ぬ振りをしてしまったようにも思える。4月には大学という枠組みを卒業し、学生という肩書きから抜け出した。心地良かった吉村順三建築と離れ、人々と離れ、環境と離れた。

会社へ入り、できないことばかりを経験した。

できないことばかりだから、とにかくやるしかなかったし、9ヶ月経った今でもまだ上手くこなせない。

できないことが怖く、悔しく、自分が何に向かっているのかがわからないような日々だった。美大へ通っていた時も思っていた、1つのプロジェクトが終わった安堵と同時にまた1から作るという恐怖、というものを高速回転で感じていた。

できないことが次から次へとやってきて、自分はちっぽけなのだと思い知る。いつしかできなことも認められるようになった。「ああ、できないのか。また君がやってきた」こうやって人間は色々な環境へ徐々に慣れていくのだと自分のことながら今更関心している。

今日が12月31日だなんて思ってもみなかった。

気が付けばもう12月で、もう2017年が終わる。自分のことで精一杯だった。

大切な人もたくさん傷つけて、自分自身も迷ったし、そして仕事が大好きだった。よくあることだと言われ、社会人1年目だからと宥められ、滑稽だった。ただ私は、正解と示された方へただ一直線に進むのは得意だから乗り越えられたのかもしれない。アウトプットの量だけは、この9ヶ月誰にも負けない自信がある。大学生活のポートフォリオなんて、目じゃない。量だけは。

だから、2018年はちゃんと自分が1日を噛み締められるような1年にしよう。

自分が本当にやりたい方向へ舵を切れるように。

「答えを出す時代から、考える時代へ」

「考えろ」と何度言われたか数え切れない。

いつしか、考え方が浅はかだ、考えろ、ともずっと言われるようになっていた。考えるということが好きだと思っていたけれども、いつまで経っても友達にすらなれない、片思いのようだった。

でも、それでも。

4年ぶりに会った恩師から「分からないのは当たり前だよ。だって考え方を教わっていないだろう」と笑い飛ばされた。できないことがあったら、全部誰かのせいにしてしまえと冗談を言った。

なんだ。

そんな単純なことか、と私も釣られて笑う。

そもそも考えるということは、どういうことだっけ。ああ、わかんないや。分からないから考えよう。振り出しに戻る。そこまで戻ってしまってもいいかもしれない。「プライドと個性は進んで捨てる」いつの日か、送り出されたときに言われた言葉。

答えは出ないのだ。それなら大丈夫。

進もう。

2018年のワタシへ。走り出したら、自分で磨け。

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