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そうやって、落ち込んだり笑ったりして、普通の日々がどんどん過ぎて行くのかもしれない

11月末、久しぶりに風邪をひいた。
何の前兆もなく突然やって来たから、私が一番驚いているのかもしれない。


体調が悪いと、なぜか無性に何かを話したくなって、
TwitterとかLINEとかそういう手軽なものをつい
動かしてしまったりする。


久しぶりに懐かしい曲を、不意にApple musicが選曲したので

明日もやりたいことがあるからほどほどにね、
なんて自分に言い聞かせながら、やっぱり文字が頭をぐるぐる
してきて、
これはやっぱりどうにもこうにもならない。

さっき薬を飲んだにも関わらずやっぱり相棒のMacBook Proに
そそのかされてしまった。

一人暮らしに慣れていないわけではないけれども
ベッドの上から眺める天井は
“咳をしても一人”
だなんて孤独な
尾崎放哉の句が、どうしても頭に浮かぶ。
この句は教科書か何かで見た時から勝手に、少し
ああ、わかる…!
なんて共感してしまって好きだったりする。


それでもやっぱり出かけなくてはいけないから
お店を出たら
雨なのに傘を持っていない自分に少しイライラして
そしてああ、悪化するな、なんて考えながら
真っ黒の道路を見ながら走った。


日頃の行のせいもあるけれども見事に悪化した。
「病は気から」
という言葉の通り、だなと思う。



マスクをしている枕元で
Apple musicがシャッフルで選曲した曲は、
過去に海辺で聞いた大好きな音楽だった。

あ、懐かしいなと思いながら
最近体験したことも書いておきたくて
結局noteを開いてしまった。


そのアーティストは2回ライブで私は見たことがある。


学生の頃、フェスのスタッフとして聴いた1回目のライブ。
私にとって、比べものにならないくらい
人生最高のライブだった。


海と、風と、音楽と、夏の暑さと
全部が心地よくて、あの日体験した丸ごとが、
まるで私の一生分の幸せみたいに感じた。


特等席でも何でもない、遅れて後ろから眺める。
しかも当時は初めて聴くアーティスト。


それでも全てが合わさって、最高だった。


別に全アーティスト聞けたわけでもなくて
それでも帰り道夕方、もう真っ暗になった会場で流れてくる
音楽も、それはもう夜風にふかれてエモーショナルで
何とも言えない気持ちにさせた。


あの日、照明に照らされて歩いた芝生の、自分の、
足元の暗さを
今でも覚えている。


それから何度も別の好きなアーティストのライブに行って
でも、競うわけではないのだけれども
その最高な景色を超えられなくて
社会人になって、同じ場所、同じアーティスト、2回目ライブに行った。


「もしかしたら、1回目を超えるかもしれない」
実は、心のどこかで期待していた。


演奏は最高で、良い天気で(天気は少し悪かったかもしれない)
とても良かった。


でも、

私は大人になったんだなとか、勝手に少し、思った。
2回目だしとかほんの少し、思った。


こういう時、自分の心の狭さを自分で見てしまったような気がして
自分で自分が嫌になる。



でも、
そんな私が最近、過去の最高ライブを優に
飛び越えてしまったライブがあった。


心のどこかで予想もしていなかった。


そのアーティストはライブを聴いた後の方が、聴く前よりもずっとずっと

好きになった。


何でこれが私の“最高”を超えたのかはわからなくて
しばらく数日考えてしまうくらいだった。


でも、それはきっと
「今一番欲しい言葉をもらったから」
かもしれない、と思う。


もちろん演出も素敵で、体験としても凝っていて
でもそれだけではないものがあった。

大スクリーンに「生きるのは最高だ」が映し出された。


◯×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて
確かめる間も無い程 生きるのは最高だ
あまり泣かなくなっても ごまかして笑っていくよ


みんなで手を叩いて、笑顔であんなに画面いっぱいの
“生きるのは最高だ”という文字を見て、
込み上げるものがあって

号泣した。

生きる

という言葉は漠然として、すごく重みを感じる。


“ちゃんと”生きなくちゃ
という気持ちがある。
強くなりたいなと思う。



風邪をひいた。


風邪をひいたから、少しネガティブにもなっていた。


何か物事を体験するたびに、

あの日海で見た朝日は超えられない
あの日もらったプレゼントも超えられない
あの日笑って芝生で寝転んだ空も超えられない
あの日ステージから見た観客席も超えられない
あの日初めてもらった言葉ももう超えられない
憧れのあの人の話す声も、全部全部
私にとっては超えられなくて、過去は

忘れられない景色になってしまった。



それでも、やっぱり
世界は広がって行くのだと思った。


超えていくんだなと思ったし、ベッドの上で一人で思った。


次々襲いくる普通の日々
飲み込まれないでどうにか繋いでいけるように


私が一番怖いのは、
ただの日常かもしれない。

毎日がスペシャルだなんてなくて、
きっとどこかで自分じゃなくて他の誰かや環境に期待してしまっていた。

生きることを“最高”にするのは自分自身。

そんなことは分かっている。


最高な記憶を
超えてしまったことはどこか悲しくて
忘れたくないと思って
でも、まだまだ私のまわりは当たり前に体験したことがない
行動したら勝手に世界が広がっていて、
更新されてゆくのだと思った。


なんでも初めてのあの頃とは違う。
だから私は喉が乾くように

結局、また新しい体験をしたいだなんて、
求めてしまうんだと

思う。

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