ホラー小説の下見に_表紙絵あ

ホラー小説の下見に(短編)

「へえ、このホラー小説、いっぱいポイントが付いてるんだねぇ。すごいねぇ」

 僕がスマホをいじって小説を読んでいると、チナツがそれを覗きながら感心した様子で言った。

「安易な舞台設定に、テンプレートみたいな登場人物が乗っかってるだけの、ありきたりな小説だよ」

 僕は朝から気分が悪くて、できれば彼女の相手はしたくなかった。それなのに小説の話になると口が出てしまうのは、端くれとはいえ、物書きの性《さが》だろう。

 遠くの方で、カラスの鳴き声が聞こえる。梅雨時期のぬるい風が肌に触れ、なんだか不快だ。

「それなのにアキ君の小説は、ポイントが──全然だね」

「……最近ようやくわかってきたんだ。この投稿サイトの読者は、シンプルなものを好むんだ。だから次の作品は、きっとたくさんの評価がもらえるはずだ」

 そもそも気分が悪いのは、朝に彼女が僕を起こしたからだ。ただでさえ寝起きが悪いのに、目覚めて早々、彼女の顔がそばにあるのは耐えられない。明るい髪色で、好みのボブヘアで、それで少し顔が可愛くても、そんなことは問題じゃない。それ以外は、良いところなんて一つも見つからない。

 ──はっきり言って、僕はチナツのことが嫌いだ。

 だけど三日前から、僕は彼女の家に転がり込んで生活している。 ……どうしようもなくて、その状況に甘んじていた。

 今日までは。

「で、これはそのための下見なんだね?」

 チナツが尋ねる。表情は柔らかかったが、どこか訝しんでいるような雰囲気があったので、僕は慎重に答えた。

「……そうだよ。下見は二、三回やると、それまで気がつかなかった所なんかに、目が向くようになるんだ」

 僕がチナツを連れてやって来たのは、『裏野ドリームランド』という廃園となった遊園地だ。心霊スポットとして有名な場所で、来るのは今日で二度目。こじんまりとした元遊園地は、がらんとしていて、相変わらず薄気味悪い。

「そっか。それで、どこを見るの?」

「まずはジェットコースターを見て、それからメリーゴーラウンド」

 僕はあえて本命とは異なるアトラクションの名前を挙げた。すると彼女は少し安堵したようだった。 ……そのほっとした表情だけを見ればチナツは可愛い女子の部類に余裕で入るし、僕が通っている大学に行けば、かなり目を引く美貌を持っていると思う。

 だが本音を言わせてもらうと、その首から下げている赤い紐(本人はチョーカーと呼んでる)を引きちぎり、「そんな顔、二度と見たくないんだよ!」と罵声を浴びせてやりたい。 

 ……もう少しの辛抱だ。

 リュックからキャンパスノートとボールペンを取り出す。小説を書くためのアイディアノートだ。ちなみにリュックの中には、そのアイディアノートの他に、財布とスマホの充電器くらいしか入っていない。

 ……でもこれらが無ければ、この三日間を、冷静に、希望を持って過ごすことはできなかっただろう。

 アトラクションを次々と回りながら、ノートに適当な描写を書き込んでいく。チナツがそれを覗き込んでくる。正直なところ、こうしてノートを見られるのは嫌なのだが、今はどうしようもないので諦める。

 本命はミラーハウスだったが、僕はわざと、そこを避けて回った。

「雨、降ってきそうだね」

 チナツが薄灰色の空を見て言った。

「まだ大丈夫だよ。天気予報はチェックしてたから、信じて」

 僕は言いつつ、むしろなかなか雨が降らないことに、内心で苛立っていた。天気予報では昼ごろから降水確率が百パーセントだったのに、いつになったら降るんだろう。

 雨宿りを口実にでもしないと、ミラーハウスには入らせてもらえないじゃないか。

 だがそんな時、思わぬアクシデントが起きた。

 メリーゴーラウンドを周囲を歩いている時だった。土埃で汚れ、白い塗料が剥がれている馬の足元に隠れるようにして、そいつは居た。

 ──というか、転がっていた。

 そいつは男だった。逆方向を向いていたが、僕の足音が聞こえたのか、くるりと反転し、こちらを見てにやりと笑った。

 そして、まるで風船のように、宙にふわふわと浮かび上がった。胴体は見当たらない。生首だけで動いている。

 この元遊園地は、そういう場所なのだ。

「やっと見つけた。なぁ、俺も連れてってくれよ」

 生首男がそう言った。僕は寒気がして、鳥肌がぶつぶつと立ってきた。

「アキ君、逃げて! 捕まったら嫌だよ!」

 チナツが叫んだ。

 僕は走った。振り返ると、生首男が浮遊しながら追ってくる。にやにや笑ってはいるが、必死の形相に見える。何としてでも、僕を捕まえようとしているようだ。

 このままでは消耗戦になり、僕は……

「そうだ……!」

 切迫した状況だというのに、僕は妙案を思いつき、ミラーハウスの方向へ走った。

 チナツは生首男の方を気にしていて、僕がどこへ逃げようとしているのか気づいていない様子だった。

 そうこうしている内に、遅まきながら雨がぽつぽつと降ってきた。顔に小さな雨滴が当たる。

 ミラーハウスの建物が見えてきた。淡い青紫色の、角ばった建物だ。

「えっ、アキ君、中に入るつもり?」

 チナツが驚いた様子で言う。

「僕の体力にも限界がある。時間稼ぎをするためだ!」

 有無を言わさず、僕は一気に駆け抜ける。緩いスロープをのぼり、行列整理用のじぐざぐの柵を乗り越え、入口の扉へ辿り着いた。

 スーパーマーケットのバックヤードに使われているような、観音開きの扉だった。取っ手が付いていたけど、無視して体当たりをするように中に入った。

 扉の内側にも取っ手が付いていた。僕は躊躇いつつも、持っていたアイディアノートをぎゅっと丸め、左右の取っ手に通して挟んだ。これで閂《かんぬき》の役割を果たしてくれるはずだ。

 扉の外から、何かがごつんと衝突したような音がした。もう一度、ごつんと音がする。

「開けろよぉ!」

 外から生首男の声がした。作戦通り、たかがノートではあったけど、きちんと役に立ってくれたようだ。相手は首だけだし、そう簡単には開けられないだろう。

「ど、どうするの?」

 チナツが尋ねる。

「今のうちに、出口まで回って脱出するんだ」

 僕は扉に背を向け、再び走り出した。上下左右の壁一面が鏡の通路。左手だけは鏡に触れながら走る。

 鏡には僕とチナツの姿が映っている。嫌でもチナツはついて来る。

 少し不安ではあったが、一度来たことがある場所なので、進むのはスムーズだった。覚えている道順に従っていくと、ありがたいことに、僕が三日前に置いておいた黒い長袖のシャツが、そのまま残されていた。

 そこの床には、ぱっと見ただけではわからないけれど、特殊な半円形の模様が小さく書かれている。右側の鏡と合わせると、きちんとした円形の模様になっているのだ。ファンタジー系の物語に登場する、魔法陣みたいな。

 このミラーハウスには、いくつかこういう模様が存在する。

 ──その模様に足を置き、その鏡に触れると、別の世界に行くことができる。

 それは大学内で広まっていた都市伝説だった。三日前の僕は、それを試し、あろうことか成功し、そこにシャツを目印として置いておいたのだ。再びその鏡を使って”元の世界”に戻ろうと思った時に、間違えないように。

 ──何を隠そう、僕はこの世界の人間じゃない。僕の住む世界は、そのシャツが置いてある場所の、鏡の向こうにある。

「待って!」

 その時、チナツが叫んだ。そしてシャツのある場所まであと五メートルという所で、僕の右腕を強く引っ張った。

 僕の右手首に、彼女がチョーカーと呼んでいる紐が食い込む。彼女のどこにそんな力があるのか、僕は足を止めざるを得なかった。引っ張り合いをすると、僕の手首がちぎれそうだ。

 ……やばいかもしれない。

 知らず、心臓の音が高鳴った。

 勘付かれただろうか。

「な、なんだよ? 早く行かないと……」

「ねえ、アキ君は本当に、出口に向かってるの?」

 チナツが尋ねる。

「当たり前だろ? 早く出ないと、あの男の方が、出口側に回り込むかも……」

 目論見がバレないよう、なんとか演技をした。

「それ、嘘だよね?」

 だが、チナツにあっさりと見破られた。右を向くと、鏡に映る僕の顔は引きつって、ひくひくと口元が痙攣していた。

 致命的なほどに、嘘が下手だった。

 チナツは眉間に皺を寄せ、僕を睨んでいる。

「私のチョーカー、アキ君の脈に繋がってるから、嘘ついてるのがわかるよ。脈拍、すごく早くなったもん」

 そのチョーカーは僕の手首に巻かれ、彼女の首と繋がっている。

 ……胴体のない、彼女の生首の、切断部と。

 チナツは、さっき出くわした生首男と同じ、ふわふわと生首だけで生きている生首女なのだ。

 僕は言い訳しようとしたけれど、どうせ嘘はバレてしまうのだと思ったら、何も考えられなくなった。思考回路がテレビの砂嵐のようになり、もはや泣き出してしまいたいくらいの絶望感を感じた。

 だけど僕は、寸でのところで諦め切れなかった。胸に込み上げてきたのは、あふれんばかりの、彼女への怒りだった。

「……この際だからはっきり言うけど、これはチョーカーなんかじゃない。お前の血管だろ」

「そんなこと、今はどうでもいいでしょ。それよりアキ君、これから元の自分が居た世界に戻ろうとしてるんじゃない? 許さないよ、そんなの」

 チナツは僕の指摘には取り合わず、見透かしたように言った。頭上から見下ろしている姿に、より一層、腹が立った。

「許すも許さないもないだろ。僕が僕の世界に戻るだけだ。何が悪い?」

「悪いに決まってるでしょ!」

 僕が怒りを込めて言うと、呼応するようにチナツも怒りを露わにし、いきなりびゅんびゅんと周囲を飛び回った。血管が僕の首に巻きついて、締まった。

「せっかくアキ君と繋がれたのに、そんな私を捨てて行くつもりなの!?」

「繋がるも何も、一方的に取り憑いたようなもんだろ! あの時、僕に選択権は無かった!」

 勝手な言い分に、思わず語調が強くなった。

「何、逆ギレしてんの? アキ君が家に帰れないって言うから、私、泊めてあげたじゃない!」

「それは、別の事情があったからだ。お前なんか関係ないんだよ! というか”逆”じゃない、普通にキレてんだ! そう言うお前は加害者なんだよ!」

 この世界は、チナツのような生首人間が稀に居るという超常現象以外は、基本的に、僕が居た元の世界と同じだ。この『裏野ドリームランド』も、ミラーハウスの作りも変わらない。この世界にも僕の家が普通にあって、だけど、そこで生活しているのは僕であって僕じゃなく、この世界を生きるアキという名の他人だ。その生活に、僕が入り込む余地は無いと思った。

 居場所がどこにもなかった。

 だから加害者であるチナツの家に泊まっていた。

「ご飯もあげたし、お風呂も入れさせてあげたし、ケータイも充電させて、小説書けるようにしてあげたじゃん!」

「知るかよ! 全部は今日のため、元の世界に戻るために、お前を油断させようと思って、この状況を受け入れたフリをしてたんだよ!」

 ──三日前、僕は小説のネタを探すために、その都市伝説を試した。

 そしてミラーハウスの外に出て早々、いきなり、生首のチナツが襲ってきたのだ。僕の右手首に血管を巻きつけ、繋がってしまった。

 不気味すぎて卒倒しそうになりつつも、僕は懸命に抵抗し、それを引きちぎろうとしたが、その血管は予想以上に丈夫で敵わなかった。ミラーハウスに引き返して元の世界に帰ろうにも、今のように身体を引っ張られ、止められてしまった。

 僕は抵抗を諦め、チナツとの共存を図った──ように見せかけるべく努めた。

 その後の三日間、僕はチナツと仲良くなったフリをし、その際、色々と話を聞いた。

 チナツはこの『裏野ドリームランド』で、『首切りピエロ』なる謎の人物に斬首され、生首人間としてミラーハウス周辺を彷徨い続けていたらしい。

 彼女によると、生首人間は僕のような普通の人間と繋がるまで、首を切られた場所周辺から離れることができないらしい。

 つまりこの不幸な状況は、その『首切りピエロ』が作ったのだ。

 でもそんなことは関係無い。元の世界に帰りたかった僕は、再びこのミラーハウスを訪れる時を待ち望んでいた。そのために彼女を騙し、油断させた。

 それなのに……! 念願の元の世界に戻るまで、あと五メートルだというのに……!

「よく考えてよ! アキ君がこのまま元の世界に戻ったら、私もついて行かなきゃいけないんだよ? 知らない世界でたった一人、生きてかなくちゃいけなくなるんだよ? そんなの、酷いと思わないの?」

「馬鹿か? その台詞は、そのままお前に返すよ!」

 僕は叫ぶように言った。

「安心しろ、きっと大丈夫だ。鏡から別の世界に移動するには、床の模様に足を乗せなきゃいけない──でもお前は足が無いから、たぶん連れて行けない。お前はちゃんと、この世界に留まるはずだ」

「やだよ、アキ君がいなくなったら寂しいよ! せっかく会えたのに、どうして離れようとするの?」

「自分が元々居た世界に戻って、何が悪いんだよ!」

 ──こんな生首が浮遊してる世界なんて、長居してたまるかよ! もう限界なんだよ!

 チナツが何か思いついたように言う。

「そうだ、わかった! 今日このまま帰ってくれたら、アキ君のアレ、舐めてあげるから!」

「そっ──」

 一瞬だけ戸惑ったが、すぐに拒否した。

「そういう問題じゃないだろ! き、気持ち悪いんだよ、お前!」

「なんで? 普通の女の子でもするじゃない。アキ君とこれからずっと一緒にいるんだったら、それって、恋人みたいなもんでしょう?」

「そんなわけないだろ!」

「私ね、これからきっと、障がい者手当をいっぱいもらえるんだよ。それにアキ君のお世話は親にお願いするし、そしたらアキ君は、小説の執筆に専念できるじゃん。学校もいかなくていいし、就活とかしなくていいし──元の世界だったら評価ゼロでも、こっちで努力したら変わるかもよ? それで、プロの小説家になれるかも」

「……」

 確かに生首人間は、不遇な身の上というだけで、本当は化物でも何でもない。表面的には、僕もわかってるつもりだ。チナツを見ればわかる通り、五体不満足なだけで、生きているのだ。もしも逆の立場だったらと思うと、同情さえする。

 そんな人間の拠り所となっている僕は、それを理由に様々な煩わしいことを免除してもらえる可能性があることもわかってる。それは人によっては、非情に魅力的な環境かもしれない。僕だって、元の世界にいる時に、「芽が出るまで小説に専念していい」と言われたら、喜んで応じると思う。

 でもこの世界は……

「嫌だ、そんなの」

「なんで? ずっとやりたいことやって生きていけるんだよ? もし小説家になれなくても、嫌な仕事したり、野垂れ死んだりしなくていいんだよ? アキ君の気持ち、わかんないよ。なんでわざわざ元の世界に戻ろうとするの?」

「そんなの、知るかよ」

「それにここなら、私みたいな──体は無いけど、美人な彼女がついてくるんだよ? アキ君、向こうの世界でそんなにモテるの?」

「……生首女なんて、気持ち悪いって言ってんだろ。それに、そのしつこい性格も嫌いなんだよ!」

「酷い! 私は好きでこんな姿になったんじゃないのに!」

「しつこいって言ってんだよ!」

 堂々巡りのやり取りに、怒りが爆発した。チナツが泣き出して気を緩めた隙に、僕はその血管を引っ張った。

 そして手の届く位置に落ちてきた彼女の顔を両手で掴み、鏡の壁に思い切り叩きつけた。ごつんと音がして、彼女は悲鳴を上げた。

「うるさいんだよ! お前なんて、ただの化物じゃないか! 首しかない化物が、なんで前向きに生きようとしてるんだよ! しかも他人に寄生して、寄り掛かって、生きてる価値なんてないんだよ!」

「いやぁぁっ!」

 僕は繰り返し彼女を叩きつける。鏡が割れ、その破片が彼女の顔に刺さる。血が出た。そこに映る彼女の顔はどんどん醜悪になっていった。

「僕は元の世界で小説家になりたいんだ! お前の助けなんていらないし、この世界にも居たくない! 評価ゼロでも、そこから上に昇りたいんだよ! だから元の世界に戻るんだ! 邪魔するなら、お前をこのまま叩き潰してでも、絶対に帰ってやる!」

 そう断言し、さらに強く打ちつけた。チナツは鼻が曲がり、歯が何本も折れ、血まみれで泣いていた。唯一の長所と言える顔が、潰れた。

 彼女に抵抗する気力はもう無いようだった。手を離すと床に落下し、鈍い音を立てた。うつろな目で涙を流し、嗚咽している。

 ……最初から、こうすればよかったのか。

 僕は彼女を見ないようにして、ずりずりと引きずり、足を床の上の模様に乗せた。

「じゃ、帰るから」

 ……それだけ言って、鏡の中に入った。

※※※

 元の世界に帰ってきた。

 ミラーハウスの外に出て、僕はスマホを確認した。向こうの世界に行った日から、きちんと三日経っているようだった。

 僕は向こうの世界にいた時と、まったく同じ格好をしていた。リュックを背負い、ポケットにはボールペンが入っていた。

 予想どおり、チナツはそこにいなかった。手首を絞められていたような感覚が残っているが、もうあの血管は巻きついていない。

 ……後味の悪い帰還だった。

 落ち着いて振り返ってみれば、チナツの発言の一部はもっともだった。むしろ僕の発言は、ほとんど障がい者差別と言っても過言じゃなかった。

 彼女が僕に寄生してなければ……

 彼女が向こうの世界の人間でなければ……

 彼女は他の障がい者と同じ、身体にハンディを持っているだけの女の子だったのだ。もちろん、科学的には生存していることがあり得ない状態で、人間としての定義に当てはまるかわからない存在だけど、確かに生きていた。

「もしこの世界にチナツがいたら、僕はどうしていたんだろう……」

 もしもこの世界があの世界と同じ状況で、彼女は生首人間のままで、でも僕に寄生する必要が無くて……そんな状況だったなら、僕は彼女にどんな態度を示し、どんな対応をしたのだろう。

 気持ち悪いと言って、拒絶しただろうか。

 化物と言って、罵っただろうか。

 僕はぶるぶると首を振り、考えを否定した。仮定の話をしてもしょうがない。

 彼女は向こうの世界の人間で、僕を束縛しようとした。元の世界に戻ることを、阻止しようとした。だから、あんな結末になるのは避けられなかった。衝突は必然だった。

 考えても仕方がないのだ。彼女の身の上には同情するけれど、巻き込んでしまったのが僕だということが、すべての間違いだったのだ……と思う。

 梅雨の午後の元遊園地。雨が降ってきそうな曇り空。誰もおらず、まして生首なんて転がっていないし、浮遊してもいない。がらんとしていて、ゴーストタウンのように、無機質で埃っぽい建物や機械が置かれているだけだ。

 ぬるい風が、周囲を吹き抜ける。

 念のため、ミラーハウスの建物を迂回して、その入口の扉を確認した。扉はすぐに開いた。そこに僕のアイディアノートは無かった。

 ──どうやら、ちゃんと元の世界に戻って来たらしい。

 僕はほっとして、息を吐いた。

 すると突然、スマホが鳴った。

 友達のケンジからだった。大学で同じゼミに入っていて、すごく仲が良いわけではないけれど、ちょくちょく話をする間柄だ。

 実のところ、『裏野ドリームランド』のミラーハウスの噂も、彼から聞いた話だった。

『お、アキ! ここんところ学校休んでどうした? 不良化したのか? ついさっきゼミ終わったところなんだけど、教授に連絡してみろって言われたから、電話してみたんだが……何かあったのか? それとも、ただのサボり?』

 ケンジはいつもこうで、まくし立てるように一気に喋る。

「いや、まあ色々あって……長くなるから、今度話すよ。雨も降りそうだし」

 電話に出ておきながら言うのもなんだけど、僕は早く自分の家に帰りたいと思っていた。

『なんだよ、出先か? 今日はこれから降るっぽいよなー。俺、傘持ってきてないのに』

 そんな話をしていたら、本当に降ってきたようだ。小さな雨滴が顔に当たった。アスファルトにも、わずかに染みができている。

「やばっ、じゃあ切るね」

『あ、そうだ、アキ!』

 通話を終えようとしたら、ケンジが何かを思い出したように、呼び止めた。

「何?」

『この前話した、遊園地の都市伝説の話、覚えてるか? あれに最近、新しい情報が追加されてさぁ。どうやら、鏡の中の別世界に行ったら、その世界から何か一つ、”こっちの世界に無いもの”を持ち帰ってきちゃうらしいぜ。だから、もし行くなら気をつけろよ。じゃあな!』

「……え?」

 僕はその場で固まってしまった。

 実際に別世界を体験した身としては、もはやケンジの話を、たかが都市伝説と聞き流すことはできなかった。

 雨は徐々に強くなり、雨粒がアスファルトに弾けていく。

「それって、どういう──」

 尋ねようとしたが、通話はすでに切れていた。

 ──何かを一つ持ち帰るって、どういうことだよ? 

 背筋に寒気を感じた。雨が首からTシャツの中に入り、虫のように這い降りた。

 ──都市伝説が本当だとしたら……僕は何を持ち帰ったというんだ? まさか、チナツ……? いやそれとも、この雨、というオチだったり? 他に何かあるのか? どうやって確認すればいいんだ?

 ケンジにリダイヤルしようとして、画面を操作する。

 その時だった。

「……君も、風船にしてあげようね」

 背後からそんな声がしたかと思うと、突然、僕の視界がくるくると回転し始めた。

 ようやく回転が終わったかと思うと、僕は風に煽られ、ゆらゆらと大きな揺れを感じるようになっていた。

 その時に見たものは、ピエロの格好をした人間の背中だった。左肩で僕の胴体を担ぎ、その右手には、赤黒い血の付いた斧を持っていた。

 ……そしてそのピエロは、雨の中に消えていった。

※※※

 後日談だけど、僕はその後、何日も『裏野ドリームランド』のミラーハウスの入口付近に隠れて、誰かが来るのを待っていた。

 僕はあろうことか、向こうの世界から『首切りピエロ』を持ち帰ってしまったのだ。奴の手で生首にされてしまった僕は、かつてのチナツのように誰かと繋がることでしか、この遊園地から離れることができない。

 待っている間に、いくつも小説のネタが浮かんで、頭の中でストーリーが組み上がっていた。

 でも、もうそれを書く手は無い。自由も無い。

 『首切りピエロ』は、今どこで、誰の首を切っているのだろう。

 チナツは、今どんな思いで、向こうの世界を漂っているだろう。

 僕はピエロが配る風船のように、ぬるい風に吹かれて揺れながら、寂れた廃園の風景を見つめ続けた。

※※※

 そんなある時、ミラーハウスの扉が開き、中から見知らぬ人が出てきた。

 僕は……どうするべきなのだろう。

(以上)



────────
【後書き】
いかがでしたでしょうか。
後味わりぃ……。

ということで、
口直しに、『最後の方でじわっとくるホラー短編集』および
ホラーに見せかけてちょっぴりエッチなコメディ小説『トイレの華子さんは八代目』あるいは異世界×ホラーの『ツチグモ』をよろしくです!(筆者オフィシャルサイトからどうぞ!)


表紙画 : 尾崎ゆーじ
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