備蓄棚 〈私とお片付け 第2話〉
小さい頃から、地震を何より恐れていた。
「今地震が起きたら」と突然道の途中で想像して、危険なものを確認しながら歩くような子だった。お風呂から上がると、「10秒後に地震がくる」なんて勝手に設定して、10秒で必死に服を着てリビングへ駆け込む、なんていう妙な妄想癖が中学生の頃あった。雑居ビルに入っている美容院や飲食店に入ると、避難口や非常階段を無意識に確認している。今暮らしているマンションは、地上からなかなかの高さに住んでいるけれど、日常的に非常階段を子どもたちと上り下りしている。健康のためと伝えてあるけれど、本当は非常時に落ち着いてこの階段を上り下りするイメージトレーニングを、ひっそり積んでいるのだ。
きっと、前世で地震で怖い思いをしたのに違いないーー。
✛
そんな私の、
そんな私の家には、
上から下まで全て「防災用品」が詰め込まれたクローゼットがある。
家族4人1週間分の食料、飲料水、生活水、ありとあらゆる防災用品が、ぎっしり詰まっている。震災が起こると最初にお店からなくなりやすいトイレットペーパーも、ほぼ1年分ストックし棚の奥はいつも見えない。
普段さほど完璧主義ではない私の、手放せない何かがここには詰まっていると、心の奥で感じながら見ないふりをずっとしながら、せっせと詰めてきた。
その棚に物が収まっているとホッと安心するはずなのに、
なぜかその棚は私の心をザワザワさせた。
ここへ引っ越してから、ずっと。
そのザワザワに決着をつける時が、やっときた。
元旦の能登半島地震、翌日の羽田空港での事故のニュースから、
「今すぐ逃げなさいと言われて、何を持って逃げるか」という問いをもらった。
繰り返し考えてみたけれど、私は、大切な人たちの体さえ残ればいい。
大切な人が生きていさえいれば。
そしてもし、その命さえ失ってしまう定めが待っていたとしたら。
今。
大切な人との関係をこじらせている場合ではないのだ。
今。
もしその人たちが居なくなって、ああすれば良かった、ちゃんと伝えられていなかった、という後悔を残してはいないか。
恥ずかしいと言っている場合でも。
家族の小さなことにモヤモヤしている場合でも。
備蓄の棚を一生懸命詰め込んでいる場合でも、ない。
✛
私は、正月が明けてすぐの週末、再び「両親」を訪ねた。
着くと、足湯を用意して、大好きなフランキンセンスのアロマを入れた。
「今日は、マッサージさせてもらいたくて来たの。」
アロマの香りでたちまち部屋は柔らかい温度になった。
足湯で温まった父の足を私の膝に置いて、タオルで拭い、しばらくマッサージしてあげた。以前のように一人で外に出られなくなった父の足は痩せて、足の指は硬かった。
「指こんなに硬いねぇ。お父さん。」
それを1本ずつほぐしていった。まさか、父の足の指をこんな風に触る日が来るなんて。仕事人間で、穏やかではなかったお父さん。ほとんど家にいなかったお父さん。私が知っているお父さんのその足は、おじいちゃんの足になっていた。
「お父さんの体、頑張ってるね」とポロッと出た私の言葉に父が涙ぐんでいたのを、私は深呼吸してなんとか飲み込んだ。
母の体も硬かった。
母が時折こぼす父への愚痴や不満を、私は素直に聞いてあげられないこともあるけれど、母の体に触って初めて母の背負っているものを私は感じてしまった。「お母さんも大変なんだね」と思いを込めて母の背中を撫で続けると、しゃべり続けていた母が黙って目を閉じた。
その日、実家から帰る電車の中で私は、自分の手がいつまでもじんわりと温かいことに、とても不思議な感覚を覚えた。
✛
翌日、私はパンパンに詰め込まれた、あの備蓄棚の扉を新たな気持ちで開けた。
〈ここに、私が詰め込んでいたものは何だろう。〉
私はずっと、自分の「手」一つで、家族を幸せにすることができることを知らなかった。私は、災害時に自分が何もできる存在ではない、無力な存在であると思っていた。
だから、これから私は、この「自分への自信のなさ」から埋めていった備蓄を少しずつ手放していくと決めた。
✛
地震はこわい。
だけど、私はこれからこう思うことにする。
〈備えがあれば大丈夫〉ではなくて〈私がいれば大丈夫〉。
やっと、備蓄棚に詰め込んでいたものの正体がわかった。
やっと手放すことができる。
空いた場所に、私は私の「安心」だけを詰め込んでいく。
つづく
▲エッセイ〈 私とお片付け 第一話 〉はこちら
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