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だからいつまで経っても

夜の8時15分にインターホンが鳴った。
この時間に来る人はあの人しかいない。

新聞の集金のおじさんだ。

引き落としにする手続きが、手違いで完了しておらず
もう何年もその人を働かせてしまっているのは

心のどこかで

〈 集金 〉というシステムを
愛しく感じはじめているから、かもしれない。

小さい頃には当たり前だった集金の風景。

いつも同じ日の同じ時間に、
たわいもない世間話を持ってやってくる。

それは一見効率的とは言えないムダな時間に見えたのだけど
そう言い切れなくなってきた。



新聞のおじさんの第一印象は悪かった。

数年前、まだ娘が小さくて
寝かしつけの時間を死ぬほど守りたかった私が
夜8時なんかにインターホンを鳴らす人は
全て敵だと思っていた。

「引き落としにしましたよね?」
ちょっと低い声を出してみたり、

わざと娘を抱いて玄関に出てみたり。

もちろんこちらは小銭など用意していないから
じゃらじゃらとお釣りを数える
おじさんのご銭入れが憎たらしかった。


時の流れは

インターホンの音も
小銭の音も
暮らしの音へと変えていった。


昨日

夜の8時15分にインターホンが鳴った時、
息子が「あ!新聞屋さんがきた!」と
カメラも見ずに言った。
娘がコインケースを取りに行き、
小銭を数え始めた。
私は玄関へ向かい、ドアを開ける。

「夜おそくまで おつかれさまです。」

たわいもない世間話をして
お釣りのないようお金を手渡して
おじさんはおじぎをして静かに帰っていく。


集金なんてシステム
おじさんと共に、消えてなくなってしまいそう。
跡形もなくなるのかもしれない。

でも

人が、お金と価値を交換し合う体験

当たり前にしてもらっているサービスに対して
頭を下げて感謝する体験

お金を手の上に乗せて手渡す体験

それらの中に
なんだか愛しいような気持ちがあることに
私はうすうす気づいてしまっている。

だから
いつまでも引き落とし手続きは完了しない。

また来月も
夜の8時15分にインターホンが鳴るのを
私はきっと待っている。


おわり

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