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脳からプツンと音がした

考えるのをやめたい時は、たびたびある。
「単細胞になりてえ!」と願う。

極度のストレスにさらされた時、
何度か頭の中から聴こえた「プツン」という音。
これが聴こえたら、注意したほうがいい。

最終警告だ。

このところ憂鬱な気分が拭えず、日中も気づけば泣いている。
昨日、濡れた顔もお構いなしに散歩していたら、音が聞こえた。

痛む臓器。痙攣する顔。謎の蕁麻疹。体は訴えていた。

脳からも最終警告された気がした。

憂さも晴らせないまま
些細なことが積み重なり、
拭えない。

一時期、瞑想プログラムを2ヶ月続けて
その成果を実感していた。
実際に顔つきも変わっていたし、
内側から湧き出る安心感、充実感を確かに感じていた。

春の日のような穏やかさだった。
それは一瞬の夢のようだった。

この調子なら、
「過去のトラウマを乗り越えられるはず」と思い、
過去の蓋をしてきた様々なこと…
いろんなトラウマ解決しようとした。

そしたら、一気に今のわたしが喰われてしまった。
「侵食された」ような感じ。
調子に乗りすぎたのかもしれない。

萎縮する脳で考えた解決策は、

とにかく、「今」を守るために再度トラウマに蓋をする。

そもそも、過去の精算をするために現在の時間を使うのは
果たして適切なのだろうか?

まあ、当事者・ケースによるだろう。
トラウマを乗り越えて強くなれる人もいれば、過去は過去と切り捨てて、
あくまで別次元の出来事としておいてきてしまうのもありかもしれない。

だって、あの時点で十分に苦痛は味わったわけで。

わたしは、少なくとも今は、別次元の「そんな話もあったな」ぐらいの距離をとっておいたほうがいいと判断した。
「プツン」という音が、そう示してくれた気がする。

ここまで何度も繰り返し使っおきながら、ふと思った。
何に対しても、「トラウマ」という言葉で処理するのは
安易に逃げているようだ。

不都合な出来事も、辛いことも苦いことも全部、過去は、過去だ。

過去を呪って生きてきたけど、「呪い」は誰でもない。
本人を一番苦しめる。
やめよう、手放そう。

まず、自分を取り戻せ。
探せ、色のない世界の道標。

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