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人の心はわからない


私は野球は下手ですが、野球を見るのが好きです。名古屋で生まれ育ったので、中日ドラゴンズのファンです。テレビ中継もあまりないので、スマホで経過を毎日見ています。ドラゴンズが勝っても負けても私の生活には何ら関係はありませんが、ドラゴンズが勝てば気持ち良くなり、負ければ気分が悪くなります。
ドラゴンズは私が物心つくか否かの1954年に杉下茂投手の活躍でセリーグ優勝、日本一になって以来、優勝が長らく遠ざかっていました。その間に鉄人級の活躍をしたドラゴンズのピッチャーがいました。
権藤博投手です。

新人で35勝した権藤博投手(中日ドラゴンズ)

1961年の入団一年目に試合数130のうちの半分以上69試合に登板し、35勝19敗、防御率1.70の驚異的な記録を残し、沢村賞、新人賞を獲得しました。その時の流行語が「権藤、権藤、雨、権藤」です。今では考えない過酷な連投です。翌年は30勝17敗、二年連続30勝を記録の鉄人、あるいは超人的な使われ方をしました。当時でも「壊れてしまう」という声がありました。案の定、翌年は10勝12敗、翌翌年は6勝11敗、1章敗と続き、結局、異常と思える酷使をされたため、5年で投手生命を終えました。
権藤投手が名実とも輝いていたのはたった二年です。
私は権藤さんは監督ら首脳陣、球団をすごく恨んでいるかと思っていましたら、先日、YouTubeで84歳の権藤さんがお酒を飲みながら、あっけんからんと話しているのに驚きました。

「30勝はやれるから、やっただけ」監督に大変さを訴えたら、「稲尾や杉浦は完投した翌日も投げている」といわれ、「怪物と一緒にされたら困る」と思っていたと話していました。
西鉄ライオンズの稲尾和久投手は1956年から1963年までの8年連続で20勝以上しており、そのうち、30勝以上が4回で、1961年には42勝もしています。まさに怪物です。怪物がしている同じことをせよといわれても出来ませんね。ちなみに杉浦忠投手は南海ホークスで、杉浦投手は1958年から1964年まで連続7年二けた勝利を挙げ、20勝以上が5回、38勝が最高で、次いで31勝の年もありました。

60年ほど前の日本のプロ野球は現代では考えられない、滅茶苦茶な論理がまかり通り、有為な多くの選手が才能を発揮できずにつぶされたのは事実です。人生はやり直しがきかないので、選手生命を返してくれといっても出来ないし、監督、コーチも責任はとれません。

投手生命、選手生命が絶たれて、人生も終わったと思い、それ以後、自堕落な生活を送り、犯罪で新聞で名前が掲載される人もいます。同じような現象でも立ち直る人もいれば、それをきっかけに下降線を行く人もいます。どう考えるかは人さまざまです。だから人の心はどう考えているかわからないのです。

市川猿之助さんの自殺未遂

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