娘と学ぶロジャーズのクライエント中心療法
最近、心理学の勉強のため、読み始めた本である。
ロジャーズは心理療法の基盤を構築した人物であり、このクライエント中心療法は、現代の心理カウンセリングなどに取り入れられている理論である。
本の内容は、ロジャーズの生い立ちから、どういった経緯でこのクライエント中心療法を確立し、様々な活動に生かしていったかなどが書かれてある。論文や理論を訳しているので、少し難解で読みにくい部分もある。
私自身、社交不安で不登校の娘と関わり、対話をする中で、あ、なるほどなと思えることが幾つかあったので、書き留めておこうと思う。娘との関係の中で、ロジャーズのクライエント中心の考え方を学ぶのである。
●クライエント自身の能力を信頼すること
これが大前提である。
カウンセラーは、大きくは指示的、非指示的という両面がある。ロジャースが目指したのは、後者の非指示的なのだが、言うは容易いが、行い難しである。
ただ、指示(命令など)しなけりゃいいんでしょと、クライエントの言うことを聞き、クライエント任せにすればいいというわけではない。
クライエント自身が、自分の力で自分自身を指示し、行動する力を持っている。誰もが持っている。そう信じて、セラピストは的確な問いかけや、関わり合いをしていくことが大切である。
娘が何か出来ない時、例えば学校に行かない時など、あーこの子はだめだ、私がなんとかしてあげないとと思うことは日常茶飯事である。
そういう時、「クライエント自身の能力を信頼する」という意識を持つと、安易にアドバイスをしたりはできない。娘の言葉、感情、行動などをありのままに受け入れ、娘に気づきを与え、娘自身が気づきからこうしたい、こうしようと思うまで待つというスタンスに変わる。そうするには大変忍耐が必要となるし、時間がかかる。それでも、クライエント自身の力で立ち上がるその瞬間を待つということは、すごく大事なんだと思う。
●クライエントの感情に注意を向けること
クライエントが発した言葉、行動から私達はいろいろなことを判断しがちである。何故なら、言葉や行動は明瞭で、早くインプット出来るからである。ロジャースは、セラピストは言葉以外の部分にも配慮が必要であると言う。なぜ、この言葉、こういう行動に至るのか、彼、彼女のどういう感情から生まれたのだろうと、感じ、想像することなのかなと思う。
ただ、娘との関係性で思うのだが、感情に向き合うためには、時間や環境の制約をなるべく無いようにする必要があると感じる。
時間がないと、そんなことにまで関心が及ばないし、同じ環境や状況にある程度一緒にいないと、そうしようとも思わない。
なので、私自身、今は仕事よりも子供優先で、なるべく仕事ではストレスを溜めないように、時間に縛られないように、短時間勤務にしている。また、上司や周りにも理解をしてもらえるように不登校の娘のことなどもあけっぴろげにしている。
●クライエントの世界をそのまま理解すること
クライエントが発する言葉や、行動から症状を把握したり、原因をあれこれ分析するのは、クライエントを外側から客観的に見ていることになる。そういう客観性も必要なのだが、それはロジャーズが目指すセラピーの姿ではない。ロジャーズのクライエント中心は、クライエントの内側から見える世界をカウンセラーが共有することである。
この意識には注意が必要で、カウンセラーはクライエントの視点で、感情を知覚、認知をするけれど、クライエントと同じ感情になることではない。必要以上に感情に振り回されないようにすることも大事である。
これは私にとっては少し難しい概念である。ただ、私のような家族(娘)に日々関わり、カウンセラー的な役割をしている立場からすると、気にしておいたほうがいいことだなと思う。
娘が落ち込んだり、緊張したり、そういう感情になった時、私も同じ感情になり、辛くなることがある。でもそれでは、娘の感情を理解するどころか、自分の感情を抑えるので精一杯になってしまう。こういうことが、家族に対するカウンセリングが難しいと言われる所以なのだろうと思う。
●カウンセラーの自己理解(純粋性と自己一致)
これまでは、クライエントとカウンセラーの関係性のなかで、大切にすることだったが、これは、カウンセラー自身のことである。
自己理解とか、自己一致とか、そういう言葉は出てくるのだが、私なりの理解は、自分をよく知って、相手に対し自分が考えたことや思ったことを認知しながら、発言したり行動したりしましょうねということだと思う。純粋性というのは、カウンセリング中は、相手のことを思うこと、自分に嘘偽りをつかないこと、そういう心の状態のことだと理解している。
これも、娘との関係の中で、確かになあと思うことである。娘と向き合っている時間に、仕事のことや他のことを考えていると、娘は必ずと言っていいほど、わかるし、拗ねる。子供というのは、本当によく見ているし、感じている。私が発した言葉が、私の思いと違う時も、「お母さん、怒ってるよね」とか「お母さんはこうしてほしいよね」とか、すぐに察することができる。顔に出るタイプなので、ある意味純粋性は、持ってるかなーと自負している。後は、自己一致、自己理解を深められるように、定期的に、娘との会話や感じたとなどを書き留めながら、振り返ることが大切と思う。
●クライエント中心療法は世界中、あらゆる領域で活用できる
本には、一般的なカウンセリングの場面だけではなく、エンカウンターグループという、広く、社会的な組織にも、このクライエント中心療法の考え方を取り入れている事例が書いてあった。実際、ロジャーズも、晩年は、様々な社会的グループに対して、ファシリテーター活動をしながら、より良い人間関係、組織作りに貢献できないかと模索していたようだ。
ロジャーズがそうしたように、クライエント中心というのは、あらゆる領域で応用が効く考え方だと思う。最近、会社で学んだファシリテーター研修においても、ファシリテーターの役割は、一人一人の人間関係を再構築していくことだと言っていた。クライエント中心は、ファシリテーターやリーダーに場を任せていくのではなく、参加者一人一人が中心になって、自ら場を作り上げていく、そういうグループや組織になる考え方だと思う。
まとめ
ロジャーズのクライエント中心療法、まだまだ理解が浅く、難解だなと感じる部分はある。でもやっぱり、娘との関係を思いおこすと、少しずつ理解が深まるように思える。
定期的に通っている心理士さんは、娘と遊びながら、いろんなことを娘から聞き出すのが上手である。娘も信頼して、話している。家族以外に娘が心を開ける数少ない他人である。心理士さんの態度を思い出すと、やはりクライエント中心を少なからず感じる。
ロジャーズは、この本に書かれているようなことをスキル化、汎用化し、技術的に習得していくという考え方を嫌った。そうなってしまった時点で、クライエントへの向き合い方が機械的になってしまうと言う。カウンセリングのやり方には正解はなく、クライエント中心の感覚は実践を通じて、はじめて理解できるのだと思う。
娘との関係をより良く、そして娘自身がのびのびと成長でき、私自身も娘と向き合い、自己理解を深めていけるように、クライエント中心を意識していきたい。
いじょう!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?