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首都圏出身のアドバンテージ

 私は大学4年間を東京で過ごした。四国育ちの私には全てのものが新鮮かつ刺激的だった。大学の友人、ビル、駅、言葉、服、エンタメ、文化施設。なんでもあった。こんな楽しい環境が世の中に存在していたことに驚いた。1番驚いたのは博物館、美術館の展示物だ。上野の国立博物館、国立西洋美術館に初めて行った際、教科書で見たことある展示物がゴロゴロあった。首都圏出身の人たちは気づかないかもしれないが、文化的なレベルがこうも違うと、それはなんでも知ってるんだなと感じた。 
 そしてそれは、大学の中でもそう感じた。私の入った大学は関東の出身者が7割を占める大学で、四国の片田舎から出てきた私には肩身狭すぎた。「埼玉は田舎」や「23区外出身」とか自虐を言う人も中にはいたが、新宿や渋谷まで1時間で行ける時点でそれは、私にとっては憧れるものであった。その中で大学にはたくさんの人がいたし、四国にいた頃には出会えない人もたくさんいた。学生のうちから起業する人やマイナースポーツを全国区にしようとする人、Jリーグのアカデミーでサッカーを教えながら大学に来る人、全国的にも有名な高校出身の人。たくさんの「人種」に出会えてたくさんの発見をした。コロナ禍もあったが、東京の荒波の中で就活をし、就職をした。もちろん、首都圏の勤務を望んだし、たとえ無理だとしても数年後には帰ってくる場所だと考えていた。田舎出身の両親にしては、考え方は寛大で若いうちは東京で過ごして少しでも世界を感じて欲しいという教育方針のように感じた(本人たちは言及はしてない)ため、それも受けて、配属希望を出した。しかし、結果は、中四国、しかも私の会社はよくよく聞いたところ、中四国に配属になると転勤しても中四国だけで、他の地方には行けないのだそう。もう2度と東京で暮らすことはないのかととても寂しい気持ちで現在も過ごしている。刺激的で、挫折も喜びも全てを味わった東京。地方というだけで見下されたから努力した大学時代を振り返っては悲しくなってしまう。何のために努力したのだろうと。もちろん、中四国は水も合うし、方言もほぼ同じなので問題はないが、価値観が狭く、井の中にいるように感じてしまう。もう一度「なにくそ」という気持ちで本気でぶつかり合えたものはもうなくなっており、そこそこ有名な出身大学のせいで(おかげで)配属先では優秀な若手だと思われている。それも辛いが、何より辛いのは人事が私が四国出身だから中四国の配属にしたことが何よりも辛い。周りに聞いたところによると、中四国に希望出した人間はおらず、消去法で私になったと感じてしまったのだ。地方出身であることをこんなにも悔いた日はなかった。四国出身というだけでそれはもう悔しいとしか思えなかった。これまで25年近く生きてきて1番の屈辱だった。自分は結局、地方の人間なんだとつくづく思った。
 最近でもたまに東京に観光に行くが、私の住んでた多摩地域や都心は行く度に風景が変わっている、日々何かができている。成長しているなと感じる。自分も成長するために、もう一度、東京でチャレンジしてみたいなと強く思うが、その日が来るかどうかは分からない。

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