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【鎌倉 長谷・由比ガ浜エリア(前編)】 久しぶりの鎌倉①(2019.11.17)

(※この記事は過去にアメブロへ投稿した記事を転載しております)

先日、ものすごい久しぶりに鎌倉へ行って参りました。
訪れたのが日曜日で行楽日和の穏やかな天気だったこともあって、鎌倉駅は大変な混雑。

そういえば、以前よく鎌倉へ来てた頃はいつも平日だったし、日曜日に来たのは初めてかも…。

そんなことを思いながら、まず最初の目的地へ向かうべく、江ノ電に乗り換え、長い行列に並びました。


そして、乗車すること5分。目的地の最寄り駅・長谷駅に到着。

長谷エリアも鎌倉大仏長谷寺などがあって、お店も多い観光スポットだけあって、多くの人で賑わっていました。

さぁ、ここからひたすら徒歩の旅です。

私はこだわりというほどでもないんですが、鎌倉はいつも歩いて巡ります。レンタサイクルとかもあって、その方が多くの場所を訪れることができると思うんですが、歩いて鎌倉の街の雰囲気を味わいたいんですよね。


長谷駅を南に向かって、突き当たりの星の井通りを西(極楽寺方面)へ。
すると、このいかにも老舗らしい風格のお店があります。

力餅家さんです。
もうここは何と言っても「権五郎力餅
権五郎・・・そうです、頼朝に敵対した大庭景親おおばかげちかや頼朝の鎌倉政権成立に一役買った梶原景時かじわらかげときなどを輩出した武士団鎌倉党かまくらとうの祖・鎌倉景政かまくらかげまさの通称ですね。

これを食べれば勇気百倍です(笑)

この力餅は中が求肥のものとお餅のものとがあって、どちらもおいしいんですが、私は大体求肥の方を選びます。
(両方買って食べ比べてみるといいかもです)


さて、この力餅家さんのところを右に曲がると・・・。

最初の目的地・坂ノ下御霊神社さかのしたごりょうじんじゃです。御霊神社は鎌倉景政を祭神とする神社で、この湘南地域には他にいくつもの御霊神社があります。
(鎌倉党の諸氏がそれぞれに建立したんですね)

ここは参道が江ノ電によって分断されているんですが、この場所は神社(鳥居)と江ノ電、もしくはアジサイと江ノ電のコラボ写真が撮れるということもあって、鎌倉でも有数の撮影ポイントです。

この日もガチめのカメラを持って撮りに来ている方がいらっしゃいましたよ。
(私はカメラよくわからないんですが、高そうなカメラであることはわかりました。笑)

さぁ、久しぶりの坂ノ下御霊神社です。

やっぱね、これから鎌倉中を歩き回らせていただくので、ここはひとつ権五郎さんにご挨拶をば。

七五三で訪れているファミリー、いいですね~。

これは「弓立ての松」といって、拝殿前の傍らにあり、かつて景政が領内を見回る際に弓を立てかけた松の切り株のようです。(ホンマかいな。笑)

そして、こちらは袂石たもといし(右)と手玉石てだまいし(左)。なんでも景政がこの石を手玉に取り、袂に入れたそうです。
(力比べでもして自慢したのかな?)

鎌倉はこういうまんまるの石が神社に祀られていることが多いような気がします。よく巨石とか奇石は神霊が宿るなんて言われますので、そんなことからも形の整ったまんまるの大きい石が珍しがられ、崇められたのでしょうかね。

この坂ノ下御霊神社はとにかく景政、景政と景政激推しです。
なので、いただいた御朱印も鎌倉景政のものにしてもらいましたよ。

ってことで、鎌倉景政がお好きな方ならぜひ一度は訪れていただきたい神社です。


さて、坂ノ下御霊神社をあとにしたわたくしめは、次の目的地へ向かうべく、また長谷駅へ戻る感じで歩いていたのですが、その途中でサーフボードをかかえてウェットスーツに身を包んだかなりベテラン風のおじさまが颯爽と前を横切っていきました。

ふと、そのおじさまが行った先に目をやると…すぐそこがです!
そう言えば、かつては御霊神社の前まで海だったそうなので、近いわけです。
急遽、鎌倉の海を見たくなってチョット行ってみました。

天気はおおむね良かったんですが、なぜかこの時だけ太陽が雲に隠れちゃって暗くなったんだよなぁ~。もっとキラキラしてる海を撮りたかったんですけど…。

まぁ、でもやっぱいいですね、海は。

そう言えば、このあたりは御霊神社の前の浜ということで前浜と呼ばれ、由比ガ浜ゆいがはまの戦いでは和田義盛わだよしもりさんの弟・義茂よしもちが連(つづき:都筑?)太郎・次郎の親子を立て続けに討ち取った現場でもあるんですよね。

もう少し海を見ていたかったのですが、行きたいところが他にもいっぱいあったので足早に立ち去り。再び長谷駅に向かって歩き始めました。


長谷駅まで戻って通り過ぎ、長谷寺はせでら門前の交差点を右へ。この道は鎌倉葉山線(神奈川県道311号線)。

この道は鎌倉を東西に貫通する道なので、散策する際には目安となったり、よく通ったりする道になります。

そしてしばらくこの道を東に。
すると次の目的地・甘縄神明神社あまなわしんめいじんじゃの看板が見えてきて、そこを左に。

はい。こちらが甘縄神明神社です。こちらにも七五三の男の子がいますね。(良き♬)

この甘縄神明神社は鎌倉最古と言っていいくらいの神社で、奈良時代の710年(和銅わどう3年)に、染谷太郎時忠そめやたろうときただという人物が山上に神明社を、東大寺大仏の造営や畿内各地の開墾などに尽力した行基ぎょうき(668年~749年)がその麓に神輿山円徳寺という寺を創建したのが始まりと伝わります。

その後、源頼義みなもとのよりよしが祈願し、その嫡子・義家よしいえはこの地で生まれたとも言われていて、さらに義家も度々修復、頼朝政子も参詣、さらに宝殿修復や境内の整備なども行ったとのことで、河内源氏かわちげんじゆかりの神社でもあります。

と、神社の傍らに石碑がありますね。

はい、出ました。

ここは頼朝に流人時代から近侍していた藤九郎盛長とうくろうもりなが安達あだち盛長)の邸宅があった場所に近いらしく、大正時代に鎌倉町青年団が建てた石碑です。

この石碑は旧鎌倉町内を中心に83本立っているらしく、今回の私の鎌倉散策ははっきり言って、この石碑を探す散策でもあります。
(もはやこの石碑自体に歴史を感じまする)
なかなか味のある石碑だと思いますです。

これが甘縄神明神社の拝殿、奥にチラとしか写ってませんが本殿があります。

それにしても、甘縄神明神社の写真、もう少し撮った気がしたんですが、この2枚しかなくて…。

ふ~ん

雰囲気をもう少し伝えられないのが残念です。
でも、ここもとてもいい雰囲気の神社でしたよ。


って、今回はここまでにします。
ホントはもう少し【長谷・由比ガ浜エリア】が続くんですが、かなり長くなってしまうのもアレなので、次回にしますね。

ちなみに、今回お話ししたルートはこんな感じです。
(小さくて参考にはならないと思いますが一応・・・)

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。

⇒次記事


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