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~史話~ 治承~文治の内乱

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治承~文治の内乱(源平の争乱から奥州合戦)を史料や諸先生の御著書・御高論を参考にお話ししたものです。
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#平家物語

【治承~文治の内乱 vol.53】熊野騒乱(中)

『平家物語』諸本には、湛増と湛覚とが争った騒乱(前回 vol.52)より前、つまり治承4年4月下…

およまる
2か月前
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【治承~文治の内乱 vol.49】源義仲の挙兵

市原(信濃国)の戦い 以仁王の乱以降、地方で挙兵した勢力は頼朝や甲斐源氏だけではありませ…

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1年前
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【治承~文治の内乱 vol.41】 頼朝勢、常陸国へ出陣する

頼朝、松田御亭にて地固め 治承4年(1180年)10月25日(『吾妻鏡』)。 相模国府を発った頼朝…

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1年前
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【治承~文治の内乱 vol.36】 『平家物語』の描く富士川の戦い

今回は日本史上でも有名な戦いである富士川の戦いについてです。まずはよく知られている『平家…

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1年前
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【治承~文治の内乱 vol.33】 北条時政の足取り

はじめに 前回、信濃国(今の長野県)へ出兵した甲斐源氏が甲斐国(今の山梨県)へ戻ってきた…

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1年前
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【治承~文治の内乱 vol.27】 上総広常の参陣

広常の勢力の大きさ 治承4年(1180年)9月19日。この日、上総国の上総広常(平広常とも言いま…

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1年前
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【治承~文治の内乱 vol.24】 頼朝、安房国へ渡る

頼朝、死地からの脱出 石橋山から箱根山中をさまよい、なんとか箱根権現で息をつけた頼朝でしたが、いつまでもそこに長居するというわけにはいきませんでした。 この箱根権現の別当(トップ)である行実やその弟である永実は頼朝に好意的でしたが、箱根権現の者のなかにも、平家に縁があったり、平家に遠慮したりして、頼朝の来訪を良く思わない者がおり、決して安全とは言えない場所だったのです。 頼朝を快く思わない者の代表は行実のもう一人の弟であった智蔵房良暹で、良暹は頼朝によって討ち取られた山木

【治承~文治の内乱 vol.23】 衣笠城攻防戦

衣笠城攻防戦 三浦勢は三浦に無事帰還しましたが、これで安泰とはいきませんでした。 先日の…

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1年前
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【治承~文治の内乱 vol.22】 由比ガ浜の戦い

由比ガ浜の戦いの概略 伊豆国から西相模に進出した頼朝に呼応して、大庭景親を挟撃するために…

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1年前
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【治承~文治の内乱 vol.21】 頼朝と梶原景時

敗走する頼朝勢 頼朝に従った他の武士たちも箱根の山中を彷徨って散り散りになり、相模国はも…

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1年前
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【治承~文治の内乱 vol.20】 頼朝勢の潰走

戦いは夜通し続けられましたが、もとより劣勢の頼朝勢は明け方近くになって、土肥郷の方へ向か…

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1年前
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【治承~文治の内乱 vol.19】 佐奈田与一と俣野景久との死闘

北条時政と大庭景親の言葉争い 頼朝と北条、佐々木の者たちをはじめとして、伊豆・相模両国の…

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1年前
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【治承~文治の内乱 vol.14】 大庭景親の帰国

藤九郎盛長と小中太光家、味方を募りに相模国へ 早速、味方集めのために義朝と縁が深かった関…

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1年前
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【治承~文治の内乱 vol.13】 頼朝、挙兵を決意する

都からの連絡 治承 4 年(1180 年)6 月 19 日(『吾妻鏡』)。 この日、伊豆にて長らく流人生活を送っていた源頼朝のもとに重大な情報がもたらされました。それは京都にいる三善康信からのもので、その内容は先月の末に鎮圧された以仁王の乱の際に、以仁王から平家追討の檄文、つまり“以仁王の令旨”を受け取った諸国の源氏などを討伐することが決定されたというものでした。 頼朝はこの以仁王の乱に直接かかわっていないものの、諸国にいる源氏の一人として、この“以仁王の令旨”を受け取っ