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傘は高価か安物か

 突然だが私は傘を持っていない。生まれてこの方持ったことがないわけではない。傘に特別憎しみを抱いているわけでもない。ただただ持っていないのだ。これは不運なできごとが重なりに重なった結果であり、近頃の私の酒をとる手を早める要素にもなっている。傘のことを考えると腹が立って仕方がないので今日ここに書き記すことにするのである。

 先述したように今となっては1本たりとも自分の傘を持っていないがほんの2月も前までは自分の傘を3本も持つ贅沢極まりない愚か者であった。しかもそのうちの1本は折りたたんでカバンなどに仕舞うことのできるハイカラなものであった。しかし私はその3本を持っている生活があまりにも当たり前で特別感情を抱いたことなどなかった。これこそ本物の愚か者であったことはのちになって知ることになる。事件は青天の霹靂の如く唐突に起こった。

 ある日雨が降ったり止んだりするじっとりと気持ちの悪い天気の昼下がり、私は京都は東大路三条辺りにあるハンバーガーなどと呼ばれる米国式焼きサンドウィッチにかぶりついていた。ちょうど昼時のピークを過ぎた頃だったからか、はたまた気持ちの悪い雨が降っていたからかは知ったことではないが店内には私とその恋人を除くと客の老婆が一人座っているだけだった。聞き慣れない横文字の連なったハンバーガーを一頻りむさぼった後「コーヒーは別のところで飲みたい」などという私のくだらなくも崇高なこだわりに恋人を巻き込むべく店を出ようとした。会計を済ませようとキャッシャーの前に立った時にふと横を見ると、入店した時には「よくもそんな小さな口にそれほどの食べ物が入るものだ」と私に思わしめた老婆の姿はなかった。「雨は止んだかな」そう思いながら店の前にあった傘立てに目をやった瞬間、口の中にねっとりと残っていたクリームチーズの味が全くしなくなった。

私の傘がないのである。

 確かにここに置いた。ほぼ新品のビニール傘だった。先に恋人を店の中に入れた私は鮮明に覚えている。もともとは小汚いビニール傘が一本しかなかった。恋人の折りたたみ式傘を私が代わりに入れ、そして私のほぼ新品のビニール傘を立てて3本になったのだ。入店した時も、食事中も、そして退店する時も私と目の前に座る恋人とあの老婆しかいなかった。

「あのおちょぼ口老婆め!高貴な私の傘と己の小汚い傘を取り替えよった!!」

 今思い出しても腹が煮えくり返る思いだが当時はもっともっと激昂していた。まだ少し雨は降っていたが残されていた薄汚れた老婆の傘を代わりに持ち帰ることなど私の全身の細胞という細胞が拒否して許さなかった。恋人は「諦めてこれを持ち帰りなさい」と勧めたが私は断じてそれを許さなかった。結局そのまま小雨に打たれながら琵琶湖疎水に沿って帰路についた。こうして私の身を雨から守る三銃士の一角が消えたのである。

 次に雨が降ったのはおちょぼ口ハンバーガーババア事件から5日後の金曜日だった。連れて行かれた私の傘を想うと断腸の思いだったがせいぜいあの憎たらしいババアを冷たい雨から守ってやってくれと精一杯善人を演じた。そうして大阪は京橋にある我が職場からいざ帰らんと思った矢先である、ハイカラな折りたたみ式傘の柄の部分が武士が抜刀した時の如くすっぽりと美しく抜けたのである。侍はひとしきり敵を切り刻んだ後は何やら一丁前な台詞を吐き捨てて鞘に刀を戻すが、私の傘は一丁前な言葉や二丁前な言葉をいくら並べようと元には戻らなかった。私は諦めてそのハイカラで使えない傘を駅のゴミ箱に捨てた。「今週は尽く傘にツキがない。ひょっとして今日は仏滅ならぬ”傘滅”ではなかろうか」などとぶつぶつ言いながらえんじ色の京阪電車に乗って帰宅した。後から知って金輪際二度と六曜など信じるものかと誓ったが、その日は大安だった。ふざけるな。

 それからしばらく経ったある休みの日、私はついに唯一になってしまった長く無骨な黒い傘を持って百万遍あたりにあるバーバーに髪を切りに行った。言う事を聞かない強固な私の髪を、耳の後ろあたりに刺青の入った女性が優しくペタペタとうまく整えてくれた。雨降りながらも気分が良くなった私は阿闍梨もちを一つ買って帰ることにしたのだが我が下宿まであと50メートルのところで私の上々だった気分は地獄まで突き落とされた。説明は不要である。その時の写真を見て欲しい。

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 それはそれは辛い気持ちになるので詳しくはこれ以上書かない。読者諸君にこの時の私のきもちの表現方法は委ねよう。

 こうした経緯で私は傘を持たない人間になった。もう付き合いも10年にもなろうかという親友には「傘を一本も持っていない人間など、この国でお前しかいない」と罵られた。しかしそんなものは結構である。私は得意げにこう言い返した。 「いや、先進国でただ一人だ」
経済的理由で買えないのではない。卑怯なババアのように他人の傘を平気な顔をして盗みもしないし不要だから持たないのだ。強い意思を持った上で持っていないのと何も考えずに持たないのは違う。もっとも私の他にこの国で傘を持っていない人がいればの話ではあるが。

 とはいえ近頃奄美地方が梅雨入りしたとの記事を目にして私は焦り始めた。このまま在宅勤務が続いて、ずぶ濡れになっても一人下宿に帰るだけというのであれば話は別だがずぶ濡れで会社や取引先に行くわけにはいかない。今は経済的な理由で買えないわけではない傘も、雨が降るたびにずぶ濡れで出社していたらそのうち首を切られ、正真正銘経済的困窮により傘が買えなくなる。それは困るのだ。故郷の母上が傘を買わずに首を切られた息子を見て泣いて悲しむに違いない。はたまた余生を傘を見るたびに気絶するような病と共に生きねばならぬようになるやもしれない。そんな親不孝は到底許されないためとうとう私は傘の購入を検討しているのである。

 しかし、ここで一つの疑問が浮かんで連日私を悩ませている。

果たして傘に高額な金銭を投じるべきか否か。

 クラシックな暮らしを心がける私にとって「傘もまたこだわりの一つであり、長く使える良いものを買うべきだ」という考えはある。むしろこの思想を忠実に守り続ける紳士でありたいと心の奥では理解しているのだ。そんなに素敵で肌身離さず持っていたい傘を持てば、「世界外はねグランプリ」で金賞を獲得できるポテンシャルがある私の頑固な髪の毛がどれほど湿気で跳ね散らかる憂鬱な雨の日も外に出るのが楽しみになるに違いない。

 しかし世に先ほどのような狡猾な老婆が蔓延っていることを考慮すると、どれほど気を付けて米国式焼きサンドウィッチを食べていても高価な私の傘がふと目を離した隙に連れて行かれる可能性も否定できないのだ。学生時代にろくでもない同級生が「傘は世の回りものなのだよ。誰かが忘れた傘が誰かの手に渡り、その傘もまた誰かの手に回っていくのだ。気にせず私はこの忘れ物らしき傘をいただくよ」とムカつくドヤ顔で語り、落ちていた傘を我がもの顔で使い帰宅した光景がふと頭をよぎった。当時は「なんたるひねくれ者め!許し難い暴論だ。国家警察は今すぐこのロクデナシを取り締まるべきだ!」と強く憤りを覚えたものだが自分がいざ被害者になるとあのロクデナシが言っていたことが世の理であるようにも思えてきた。そうなるといつかは狡猾で能無しの誰かに持って行かれるやもしれぬ傘に高額を投じることがバカバカしく感じるのだ。

 一つ断っておくが世には「誰のものかとわかるように名前を書くなりや印をつければ良いではないか」という見解があることを勉強熱心な私は知っている。しかし私はそのようなことは断じてしない。簡単な理由である。このプライバシーなるものに妙に神経質な社会がそのようなことを推奨するわけがないのだ。雨が降るたびに自分の氏名を晒すなど理解の範疇を超えている。印は最初は良いアイデアだと思ったが私のような正直者には過去に傘を盗まれたことがある者の証に見えて仕方がなくなる。そのような恥ずかしい過去を晒すことも真っ平御免である。

 ここまで読んでくれた読者諸君はもはやこれがただ「傘を買うか買わないか」の二択ではないことくらいお分かりいただけたであろう。無実でイノセントそのものの模範市民である私の身の上に起こった三度の不幸な事件事故が事を複雑にせしめているのだ。そもそも私の傘を奪ったあのおちょぼ口のババアが悪い。

 向こう1週間は晴れ予報ではあるが梅雨入りが日に日に迫っている。果たして私は梅雨入りの前に傘に如何程の金銭を投じるかの決断を下すことができるのであろうか。傘は高価か安物か、この霧は当分晴れそうにない。


2020年5月12日
蛙唄う夜の鴨川湖畔にて。

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