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意思決定の総量を考える。

意思決定の総量。
少し小難しいタイトルになってしまいましたが、今日書きたいことを一言で表すとこれになります。

僕らは生活する中で常に何かを感じ、判断して生きています。いま文章を書いている時も、これを読んでくれているあなたもそうだと思います。
言ってしまえば脳のメモリを常に使っていることになり、そのメモリには上限があるよというお話です。
僕は何かを決める力、脳内メモリの容量を意思決定の総量と呼んでいます。

1日のうちに何に意思決定力を使うのか。
それはどのくらい疲れる(エネルギーを使う)のか。

僕らが住まう世界のほとんどは資本主義というシステムを導入し、その下で活動するビジネスの世界は大きく抽象化してしまえば、利益の方程式を前提に行動していると僕は理解しています。
それは 利益=売上−経費−変動支出です。
反動支出とはざっくり書くと税金などです。企業は残った利益で次のサービスを考えたり、人を採用したり、未来に投資をします。
そうした中で、僕ら一個人の生活もこれに準じているよなぁと僕は思っています。

利益=売上−経費−変動支出

考える力=意思決定の総量−生活に必要な意思決定−変動イベント

という具合です。
よく忙しくて時間がない、考える時間がない。という状態があります。僕もよくなります。
それは言い換えるならば時間的、思考容量的に赤字状態
にっていると僕は思います。

結果の方程式と考えることについて

結果=思考×行動×継続

思考するとは、何かのゴールに対して答えを出す行為だと僕の中で定義しています。
反対に答えが出ないことを悶々と繰り返すのは思考ではなく、ただ悩む行為です。
このあたりの理解については安宅先生の「イシューからはじめよ」に全て書いてあります。
これを踏まえると考える時間が無い、または赤字状態にああると最良の結果は得にくいという僕の理解です。

春は新しいことを始めたい。何かソワソワするから新しいことをして自分を安心させたい。みたいな状態に陥りがちです。しかしながら自分の目的に対してインパクトの低い言動をとると、時間的、経済的に浪費を生むので思い切って時間を作り、考える時間に当てるというのが合理的ではないかと僕は思います。

今日はここまで。

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