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気持ちのグラデーションと、大人な私。

ここ最近、noteの調子がよかった。
書きたいことがたくさんあって、書いていて楽しかった。
書きだめも作れるくらいあふれ出てたし、あれはnoteバブルだった。

と言うと、ハジけたのかってなるけど、別にそんなことはない。
今も書いていて楽しい。あふれ出てはこないけど。
じゃあ、「バブル」は正しい日本語の使い方ではない。
ただ、お金のことをいっぱい書いたなぁと思って、そういう意味ではバブル的だったのかもしれない。

お金を稼ぐこと、お金について語ることが嫌いだったはずなのに、気付いたらすごく好きになっていた。ジャイアン現象みたいなことだったのだろう。
好きゆえにイジメちゃう、嫌っちゃう。やっかいだなぁ。
ゆえにっていいなぁ。かっこいい言葉。


稼ぐのは好きでも、上手ではないし、たくさん稼ぎたいとも思わない。
自分なりに基準を設けてて、それ以上はいいかな。
基準に達したら、違うことに時間を使うってことにしてる。

まぁ、実際に基準に達した時にどう思うかってのはわからないからなぁ。もっと欲しいって思うのかもしれないし、実際やりたいことはたくさんあるから、そのための資金稼ぎだ、とか自分を正当化しそうな気がする。

現金な人間だなぁ。


以前尊敬する人が、
「みんな仕事をきれいに語りすぎている。もし宝くじが当たったら私は絶対に働かない。そこまで真面目な人間ではない。」
的なことを言っていて、まさにそうだなぁと思った。

やりたいことと、やるべきことの折り合いをつけて生きている。
他の人がどうかは知らないけれど、私はそう。
どうしても我慢しないといけないことはある。

娘が生まれて、確実に自由は減った。我慢することは倍々増した。
ひととまるも、毎日ハイテンションで営業しているわけではない。

だけど、幸せだ。
感情のグラデーションがあって、我慢することが絶対にいやではない。
我慢の中にもさまざまなものがあって、いいこともある。大人。

最近はそのグラデーションを自分の中に意識するようになって、心持ちが穏やかになった。イエスorノーではなくて、まぁそうだね、ちょいイエス、ちょいノーみたいな透明度47%ぐらいのものが同居してる。
大人だよね。自分。偉い!って酔ってる。


最近は役に立つこと、お金のことばかり書いていて、ここらでわけのわからんことを書いておかないとバランスが悪いと思ったら、本当にわけのわからんことになった。

明日は多分、今考えている企画について書くと思う。
今日は意味不明なこと、明日は意味明朗なこと、そうやってバランスをとっているんです。

おやすみ。

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