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言語&法&貨幣

言語・法・貨幣と「人文科学」

5 開かれた社会へ(2008・6・5)

 人類は600万年ほど前に類人猿から分かれた。
もともと類人猿は、体重を比べると他の動物より大きな脳を持っていたが、人類の脳は200万円前からさらに急激に膨張している。
それは人類の共同生活が他の動物よりはるかに複雑になり、お互いの意図や感情を常に読みあう必要があったことと強く関連していることが、近年明らかになってきた。
 20万年前、アフリカに登場した現生人類は、すでに高度に社会化された生物であった。
彼らは脳に蓄えられた社会的本能に導かれて、さまざまな習慣や規範やルールを作っている。
意思の伝達は、顔の表情や身ぶり手ぶり、さらには叫び声などによって行われていたはずである。
争いの決着は、力の対決やボスの仲裁などで果たされていたはずである。
食物などの交換は、まず相手に与え、お返しをしてくれた相手には与え続け、お返しを拒否した相手には与えないという互恵性原理に基づいていたはずである。
 重要なのは、これが「閉じた」社会であったということである。
なぜなら、このように直接的な形で意思の伝達や争いの決着や食物の交換を行うためには、相手の表情や身ぶりから意図を読み取り、相手が自分より強いかどうか見極め、相手が過去にお返しをしたかどうかを覚えなければならない。
そのためには、共に生活し、お互いを知り合っていることが不可欠である。
すなわち、人類は、血縁や地縁で結ばれた、小さな社会の中でしか生きられない社会的生物であったのである。
 そこに、「言語」が生まれた。
5万年前なのか10万年前なのか、不連続な変異なのか連続的な進化によるのかは不明である。
確かなことは、言語の成立によって、閉じられた社会が少なくとも潜在的に「開かれた」ことである。
 言語さえ共有していれば、顔や身体が見えなくても、声を通して意思を伝えられる。
いや、声の届かぬ遠くや未来にも、人から人へと伝わる言葉や文字を介して意思を伝えることができる。
言語はまさに「意味」そのものであることによって、まったく見知らぬ話してや書き手と読み手の間でも、意思の伝達を可能にするのである。
そして、ひとたび同じ言葉を話し同じ文字を書きさえすれば、人間と人間は同じ「人間」として意思を通じ合えることになるのである。
 すなわち、言葉の媒介は、血縁や地縁で結ばれた小さな社会を超えて、人間と人間とが同じ「人間」として関係し合える「人間社会」を生み出すことになったのである。
 

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