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「創価3世として生きる理由」 体験note #3

創価学会男子部員(アラサー世代)のトキミツと申します。
僕は祖父母の代から創価学会員の、創価3世です。
高校生まではほぼ無信仰でしたが、大学生になって初めて創価学会の信仰と向き合い、そこから10年以上が経ちます。

これまで創価学会員としての体験談を、父の回、母の回とnoteに書いてきましたが、今回3回目は自分自身の体験談として、ありのまま書いていきます。

学会員の方にも、学会や宗教に縁のなかった方にも、少し長いかもしれませんがお読みいただけると嬉しいです。(6500字程度)

ベンチ要員のサッカー人生

自分の人生を折れ線グラフで表すなら、高校3年生の冬が、人生の最底辺でした。
8歳から10年間心血を注ぎこんできたサッカー人生のクライマックスが、ベンチに座って引退。
大活躍して華々しく引退できる人の方が少ないですかね? でもこれ、ほんとに辛いんですよねー。

小・中までは結構いい感じだったのに。
東京の名門クラブにわざわざ電車で通わせてもらい、そこで切磋琢磨してたチームメイトの半分はプロになったくらい、良き環境。
自分もそこでテクニックを磨き、夢を膨らまし、いざ高校サッカーの舞台へ⚽

部員100人超えの強豪校の中で、弱肉強食の世界で3年間もがくも、レギュラー11人には入れず。14、15番目くらいの選手で、途中交代で出れるかどうか。
サッカー人生最後の試合は、高校サッカー選手権大会・県予選の決勝、会場は埼玉スタジアム2002。
0-2で負けてる後半、攻めに転じたい場面。しかし背番号8の僕に声は掛からず、試合終了のホイッスル。

埼玉スタジアム2002のピッチから(拾い画)

あの時、人生で1番泣きました。チームが負けて悔しいんじゃなく、自分が不甲斐なくて。
スタンドで観戦してた、女手ひとつで育ててくれた母に、良いところ見せたかったー。今の今でも高校サッカー部時代の夢を見るくらい、ほんとに悔しかった思い出です。

自分からサッカーを取ったら、何も残らないと思ってました。
勉強はそこそこ。性格は気にしいで、周りの目を気にしちゃうタイプだし、友達は少ない方。部長でもキャプテンでも、ムードメーカーでもない。
だから唯一の取柄だと思ってたサッカーがダメになっていく度、人生がどんどん灰色になっていくように感じてました。

そんな自分が嫌いで、自分に自信が持てなかった。部活では充分にトレーニングに励んで体を鍛えてきたはずのに、人間としては弱かった。
大学生活に憧れはそんなになかったけど、「強い人間になりたい」って思ってた。社会人になる前に、ベンチ要員を脱したかった。
 

油そばに釣られ学会活動へ

大学進学を機に、創価学会の活動=「学会活動」というのが、自分の人生に追加コンテンツとして入り込んできます。
母も、自分が8歳の時に亡くなった父も、純心に創価学会の仏法を信じて活動していた人で、僕はいわゆる「宗教2世」として育ちましたが、高校卒業時の正直な主観としては、創価学会のことは、“やや好き寄り”って感じでした。嫌いではなかった。

それは確実に、一人親で大変な中、弟と自分を愛し育ててくれた母のおかげです。病気持ちで体は弱いけど、一生懸命に働くし、人にも優しいし、真剣に祈る人で、今でも仲良し。
ウチには宗教2世被害的なエピソードは残念ながら無く、面白みに欠けてすみませんが片親でも普通の幸せな家族でした。

母から信仰を強制されることは、ほぼありませんでした。
小学2年生くらいまでは一緒に祈らされたりもたまにしてたけど、サッカーやり出してからは毎日ヘトヘトだしむしろ拒否してた。
そのまま大して祈ることの無いまま、サッカーを引退(もっと祈ってたらレギュラー取れたか?)。そして大学1年生になってから、学会の仏法を教え込んでくれたのは、地域のお兄ちゃん的な先輩たちでした。

「トキミツくーん。日曜10時から、学生部(大学生のカテゴリ)の会合やるよ~。その後、牛魔王、食いに行くよ~」
ONE PIECEのサンジが好きでいつもタバコ臭いのに、フォルムはゆるキャラ系。そんな先輩からのお誘い。学会の会館への道中にあった油そば「牛魔王」の魔力(まじで旨い)に吸い込まれるように、学生部の集まりに参加していきました🍜

今は閉店してしまった幻の「牛魔王」

牛魔王に釣られた感もあったけど、実際学生部の集まりが楽しかったのも本当で、僕は学生部の活動に定着するようになりました。
何が楽しいかと言えば、サークル的な仲の良さに加えて、仏法を初めてきちんと学び、意外にも頭で理解でき、納得していけたのが面白かった。ファニーもインタレスティングも兼ね備えてた。
特に、「信仰の対象は神でも仏像でもなく、自分の生命である」という、祈りについてのテーマが興味深かった。(ここでは長くなるので教義に関しては割愛)

その頃からは自ら進んで、南無妙法蓮華経と唱える祈り(学会用語で「題目」といいます)を、毎日朝晩10分くらいずつ実践するようになりました。
これは自分の主観でしかありませんが、題目をあげると、
・大学の授業ちゃんと学ぼう
・バイト楽しく頑張ろう
・フットサルサークルで思い切り青春しよう
など、以前より何でもポジティブに向き合えるように、だんだんと変わっていく実感がありました。祈ってる時間、頭の中で自分のやるべきことが整理され、さらにモチベーションも上がっていく感覚です。

仏法を生活に取り入れて2年経った大学3年生の時くらいからは、自然に友達も増え、少しは自己肯定感を持てるように。
フットサルサークルで責任者を任せてもらえた時は、素直に嬉しかった。自分の存在価値を認めてもらえたような気がした。高校サッカー部とはレベルも方向性も違うコミュニティだけど、灰色っぽかった人生に、少しずつ彩りが加えられていった気分でした。

そうして社会人となり、今は会社の事務方でカタカタ働いています。
学会の中では「学生部」から、「男子部」や「青年部」と呼ばれる20代~40歳くらいまでのカテゴリへ。そこでも人生が広がるような体験をしました。

「人ったらし」に憧れる

入社から2年ちょっとくらい、仕事の能力や人間関係の悩みに、直面しました。誰しも始めはぶつかる壁だとは思いますが、自分は割と長く悩んだ方でしょうか。
大学時代で少しは人間的に成長できたと思っていましたが、まだまだ甘かった。

自分の性格は、良く言えば真面目な方で、裏を返せば面白みが無いというのがコンプレックス。まさにその部分が、職場で足枷になっていました。上司や先輩から見て、可愛くないんですよね。同期や後輩が可愛がられているのを見ると、職場にいるのが恥ずかしくなる時もありました。

「もっと上司と良い関係を築きたい!」
そう日々祈る中で、意外にも諦める心は1ミリも出てきませんでした。今思えば凄いことかも。
すぐには状況は変わらない。でも祈り続けコツコツ頑張り2年が経った春。一番苦手だった上司が、車移動の業務外出に、めずらしく僕を指名して連れて行ってくれました。
車内で2人きり、会話が弾まない気まずい空間。
ド緊張で運転していると、上司から「こっちの道で行ってくれ」と、ナビの順路じゃない道の指示。進んでいくとそこは、満開の桜並木の道でした。
「良い思い出になっただろ」と、上司がはにかんで言葉をかけくれた。こんなことでも、ホントに嬉しかった。上司が自分を認めてくれたって、「俺はついに勝った!」って心でガッツポーズしてました。まさに〝冬は必ず春となる〟でした🌸
今でも少し憎いけど笑、小粋な上司の存在は、僕を鍛えてくれたと感謝しています。

それから、また良き出会いが。
その人といると楽しいし自然に前向きになれる、そんな学会の先輩がいました。自分のこと好いてくれてるな~って思える人。(あ、男の人で、恋の話ではないです)
その先輩は、自分だけでなくたくさんの後輩から慕われていました。どんな人とも仲良くなれちゃう、最強人種「人ったらし」です。僕も先輩みたくなりたいな~って、憧れた。
その人だけでなく、人ったらしは学会の繋がりに結構いました。旅行、二郎ラーメン、タバコなど、今まで自分が経験してこなかった楽しいコトに誘ってくれる友が増えていきました。

去年の夏旅。今年はいずこへ

そういう人たちと接していて、わかったことがある。
「自分が好きになる人って、先に自分のことを好いてくれてる人だ」ということ。
あと、「自ら楽しんでいる人は、自然にその周りにいる人も楽ませてる」ということ。
「人ったらし」って、人間が好きで、とにかく一緒に楽しもうや!っていう人のことですよね。

だから自分も、自ら色んな人のことを好きになれる広い心に、成長したいと思った。
自ら色んなコトを楽しめる弾むような心に、成長したいと思った。
そう祈っていきました。そうすると自然に、色んな人の幸せを祈れるようになったし、自分からどんどん動けるようになっていった🙏

そうして、現在まで、5年ほど経つでしょうか。
友達100人!とまではいかないけど、色んな地に、先輩に後輩に友達に、少なくない人と心通い合う人間関係ができた。お金と肝臓がもつなら1ヵ月毎日誰かとごはんや呑みに行けるような生活を送れています。
僕は「人ったらし」になれたかは自分ではわからないけど、「人間のことが好き」になれたような気がします。人と関わり、時に忙しく感じる時もあるけど、こんな充実はないなって思えています。

師匠を持つという生き方

時間軸が今に戻ってきました。
この夏の話題のひとつ、ジブリ映画「君たちはどう生きるか」。
宮崎駿監督が引退からカムバックして何を伝えたいのか、何回観てもわからないという声もあり賛否両論。これは自分で体感せねばです。
まだ観てもないのに、タイトルが深いテーマなので、強引に引用させていただきました。

「あなたの人生、どう生きたいですか」
皆さんの答えも聞いてみたいです。(コメントに書いてくだされば嬉しいです)
この問い、二十歳くらいまでの僕なら、まったく見当付かなかったと思う。
でも今は、創価学会の仏法がヒントを与えてくれています。中でも、名誉会長の池田先生の言葉の数々に、(誤解を恐れずに言えば)影響を受けています。

社会から見た創価学会のマイナスイメージに、「池田先生という〝人間〟を信仰の対象とし、崇め奉っている」というものがあると、僕は認識しています。
並列したくはないですが、独裁国家の最高権力者や、新興宗教団体の教祖などに近いイメージかも。

先に訂正しておくと、学会員にとって池田先生は、
「信仰の対象」ではなく ⇒ 「師匠」として学んでいく対象
「崇め奉る」のではなく ⇒ 「感謝」「尊敬」している

こういった存在です。

現代社会ではあまり「師弟」というものに馴染みがないかもしれませんが、師弟とは、何か芸術や競技などの世界において、その道を究めたい若者が、マスタークラスの師範に弟子入りして教えを請い、修行に励む。そんなイメージかと。
師弟関係で思い浮かぶのは、古くはソクラテスとプラトン、最近で言えば栗山監督と大谷翔平もそうでしょう。ONE PIECEならルフィにとってはシャンクスが、人生を劇的に変えてくれた憧れの師匠と言えると思います。

ちなみに宮崎駿監督にも、師匠と仰ぐ人物がいるのをご存知でしょうか。
昔NHKのドキュメンタリーで見たのですが、師匠はフランスの小説家「サン=テグジュペリ」(『星の王子さま』の著者)なんです。生きる時代を超越した、以外な師弟関係ですよね。
実はサン=テグジュペリ、小説家でありながら、飛行機の操縦士でもありました。まだ人を載せられる技術や保証がなく、貨物を運ぶ飛行機の時代✈️
その番組で宮崎駿は、サン=テグジュペリが飛んでいたフランスからアフリカに渡る航路をプロペラ機で辿り、涙を流していました。今でいう聖地巡礼。会ったこともない師匠を、感極まるほど追い求める「師弟」の峻厳さ・深さを目の当たりにしました。
宮崎作品には〝飛行〟を題材にしているものも多く(トトロまで駒で空飛んじゃいますからね)、間違いなく「師弟」がその芸術性を高めている一因であると、個人的には納得しています。

話が逸れましたが、創価学会の「師弟」という価値観について。
僕も池田先生を師匠と定めています。芸術や競技の世界ではなく、「人生」の師匠です。
僕は1度だけしか、池田先生にお会いしたことはありません。しかもその1回も、大きな講演会で見た聞いた、というレベル。その瞬間にビビッと師匠と定められたという訳ではなく、池田先生の書籍を学び、仏法を実践していく中で、徐々に師匠と思えるようになっていった形です。

1つだけ、僕が池田先生を人生の師匠にしようと思うきっかけになった、先生のエピソードを紹介します。
アルゼンチン🇦🇷のとある小学校で、池田先生が作られた童話が道徳の授業の題材となり、学んだ子どもたちから池田先生宛にお手紙が届きます✉️
そこにこんな質問が。

「池田さんは、毎日どんなことをしていますか?」

池田先生の回答はこうでした。

「一言でいえば、『人を励ますこと』『人を勇気づけること』です」
「『平和』といっても、一人一人の幸福が根本です。ですから、その一人一人を励ますことが、平和の第一歩になります」

子どもたちにわかりやすく〝人生で何を為すべきか〟を教え考えさせてくれる言葉だなと、感動しました。ここに、仏法の一番大事なエッセンスも詰まっていると思います。

自分の人生、どう生きたいか。
僕は、師匠の教えてくれた「人を励ます人生」に憧れて、その道を追いかけていきたいと思っています。
 

結論:創価3世として生きる理由

僕の10数年をつらつら書かせていただきました。
僕は現在まで創価3世として生きてきた上で、これからも創価3世として生きていきたいと思っています。
その理由は、主に5つの信仰体験に基づいています。

① 自分自身に関して : 祈っていく中で自分に自信が持てるようになれたから
② 家族に関して : 愛のある幸せな家庭で育ててもらい、感謝しているから
③ 仕事に関して : 祈りながら苦難から逃げず、課題を克服できたから
④ 人間関係に関して : 自ら人を好きになり、一緒に楽しめる人間になれたから
⑤ 人生に関して : 師匠から教わった「人を励ます人生」に憧れたから


何不自由なくただハッピーに生きてきたわけではありませんし、今だって悩みもありますが、
仏法を実践する中で得られたこの5つの「自身の成長」(=学会では〝人間革命〟と捉えます)を挙げられるほど、今が幸せに感じてられていること、創価学会に感謝したいです。


僕はこの創価学会の仏法が、日本社会の中でもっと正しく認知されることを願っています。

「宗教」という総称は、とても広い。
正直良くないものも混ざっていると思うし、日本ではその印象が強いように感じる。しかし本物だってある。それを一緒くたに「宗教」として評価したら勿体ない。
突飛な例えですが、「石」という広い総称の中には、取るに足らないその辺の石っころもあれば、ダイヤの原石だって含まれる。価値をもたらす石もあれば、価値をもたらす宗教もある。
磨かなければその価値はわからず、身に付ければその人の輝きを増すダイヤモンド。本物の宗教と、少し似ているかもしれません。

また〝何かを信じる〟という「宗教」は、非科学的なものと言える。
IT革命が進む情報社会の中で、どんどん必要とされなくなり淘汰されていくのでは?と思う方もいるかもしれません。
しかし「命」や「心」といった、人間の内面のはたらきは、目に見えない・形のないものです。いくら時代が進もうがスマホ画面には表せないし、科学や医学でも解明はできない分野だと思う。
創価学会の仏法は、その人間の生命のはらたきにフォーカスしている。心臓とも脳みそとも微妙に違う、〝生命〟という一人一人に内在する力を、最大限に発揮しようというのが創価学会の祈り方です。
目まぐるしく進化する社会環境にあって、人間自身もアップデートする必要があるでしょう。そう考えると、この人間の内面に迫っていく仏法は、令和の時代に必要性を増してくるのではないでしょうか。


自分の人生を自分の文章で披露するのはとても恥ずかしい思いがしますが、目に見えない宗教や信仰というもの表現したい思いで、体験談として書かせていただきました。
SNSに乗って、創価学会の仏法に、いいねボタンが増えたら嬉しいです👍
最後までお読みいただき、ありがとうございました🙇‍♂️

先日、尊敬する同志である弟と。彼も壮絶な体験を背負って頑張ってます💪

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