2020.7.12(日) 授業についてヒアリング

冷房の効いた日曜の夕方

どの家でも一週間の終わりや始まりを感じながら
夕食を準備する香りが広がり始める頃、
私たちは二人でそこにいた。

そんな村上春樹な書き出しで伝えたくなるほど、
そのヒアリングは衝撃的に始まった。
(村上春樹を読んだことはありません)

【パパ】国語はいつもどんな授業なんだい?

【息子】忘れた。

・・・なんだ? 何が起こった?!
息子はパルプンテを唱えたのか?

あぶない。
これまで彼と過ごした人生すら忘れそうになった。

決して反抗的な「忘れた」ではない、純真無垢な「忘れた」。
「忘れた」とはこれほどまでに清々しく唱えることができるのか。


いやなに、これくらいは覚悟していた。
こちとら半世紀近く生きてるんだ。
プリントやノートの状態からだいたいのことは推測できるさ。

認めようじゃないか。
一緒に受け止めようじゃないか。

そう、君は授業をうけてはいなかった。


そこに存在していただけだ。
でも実は、なんとなく想像はついた。

我が息子は天から落ち着きの代わりに集中力を授かっている。
そして、ほぼ空気は読まない。どちらかというと吸う。

要するに、悪気なく好きな時に好きな事に集中する、子供らしい子供だ。

どうやら、小学校の様な和気あいあいとした授業に比べ、
急に勉強感の増した中学の授業にはいまいち興味が持ててなかったらしい。

思うに息子はバカではない。
きっとバカじゃないと思う。
バカじゃないんじゃないかな。
まあ覚悟はしておけ。

何宣言かはさておき、
まあ紙一重なタイプには違いない。
さすがにそこは腐っても親だ、だいぶ前から認識はしている。

逆に中間があり得ないという意味では、もはや上か下かしかない。

よし わかりやすくていい。


がけっぷちのヒアリングはつづく。


つづく

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