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つまるところ 読書感想文『愛するということ』

 このところ、人間関係を構築していくため、なにか行動を起こさねばと始めたマッチングアプリを通じて人に会うも、内2人から怪しげなセミナーに勧誘されたりなどして、心に鉛のようなものが沈殿しつつあった。

 そもそもわたしは他人とどう関わっていきたいのだろうか。本当の望みはどこにあるのだろうか。「年齢的に、そろそろ相手を見繕わねばならない」という外圧や、"ふつう"という理想から遠のく焦りにかられていただけなのではないか。だれかから認められることを目的にして、だれかの望むわたしを形成するため漠然と作業をこなしていただけなのではないか。

 自分がどうしたいのか自問する。つきつめると、他者と向き合い、対等な関係性を築きたい。ありのままのその人を、尊敬して、大事にしたい。私自身を愛して、なおかつその人を愛したい。

 それを実現できていないのは、自分の思いや言動に自信がないからだと思う。

 エーリッヒ・フロムは『愛するということ』において、愛することを、相手の生命と成長を積極的に気にかけること、そのひとのありのままを見て、唯一無二であることを知り、尊敬すること、そして、愛することとは、なんの保証もないのに行動を起こす信念の行為であり、自分の中に息づいている生命を惜しみなく与え、そのひとを豊かにする行為であると述べている。

 それが犠牲や搾取の状態に陥らないためには、主体であるわたしが自信を持つことから出発しなければならない。

 なぜ自分を信じられないのか。

 賞罰、これだけやってあげたのだから相手も同じように返してくれるはずといった期待、過去のトラウマに浸る甘美、承認欲求に縛られる狭苦しさ、ありもしない理想を持ち出して、生きたその人を見ようとしない愚かさ、劣等感が複雑に絡まって意識や感覚が曇っているからだ。

 私に必要なのは、自分にはコントロールできないことを受け入れる余裕、コントロールできることを変える勇気、そしてその分別を常に見分ける知力だ。

 それを得るための一歩として、ありのままの自分をみつめ、どんなときにずるくなり、なにを恐れ、どういうふうに正当化しているのかを観察していく「習練」を重ねたい。

 フロムは、生活の場において、精神を集中し、意識を覚醒させ、生命力を高め、能動的かつ生産的に取り組むことで、愛することにおいてもその力が発揮できるという。

 いまここを真剣に生きることで、未知が道になっていく。そこでの観察や思考の積み重ねが、盲目的でない「理にかなった信念」を形成し、自分や他者を信じること繋がっていくのだと思う。

 つまるところ、わたしは幸せになりたい。しかし、幸せとは楽になることではない。人生は、ただひたすら最良の"別れ"に向けた不断の努力を続ける旅だ。未来が不確定だからこそ、わたしたちは能動的に歩む方向を選択していくことができる。勇気さえあれば、運命を選び取ることができる。

 愛し、自立し、人生を選ぶ。すでに何度も転んできたけれど、また立ち上がって、学んで、実践して、進んでいこう。きっと善いところにたどり着けるはずだ。そう信じて生きていきたい。









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