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なぜ私は勉強するのか―千葉雅也「勉強の哲学 来るべきバカのために」を読んで

4月は修論のテーマが白紙になってしまったり、進学のために研究室訪問をしたりする中で色々と悩んでしまった。自分はなぜ勉強するのかわからなくなってしまったのだ。

私は定職に就いており、研究内容と業務内容は直接関係はない。さらに、以前は「学芸員になりたい」と強く思っていたが、あるとき、私がアートを勉強する目的は「学芸員になる」ことではないと気づいた。もちろん「学芸員になりたい」という気持ちが消えたわけではない。私の人生における目的を達成するための、手段のひとつだと考えるようになったのだ。それならば、修士課程修了後は真面目な趣味として美術館巡りやできる範囲での活動をすればいいのでは?という考えも浮かんだ。

そんな考えが浮かんでから、なぜ博士課程に行きたいのか分からなくなってしまった。しかし、研究室訪問のアポイントメントは取得済みである。多忙な教授に時間をいただくにもかかわらず、モチベーションが迷子である上、修論のテーマが白紙になったことで十分に練られていない研究計画書を持参することになってしまった。初対面の教授と1対1で話すのはただでさえ緊張するのに、様々な悩みが重なって訪問前3日間くらいは胃がキリキリした。

当日、幸いなことに先生は優しく接してくださり、入試をパスすれば研究室で受け入れてくださるとのことだった。しかし、入試に向けて入念に研究計画書の準備をする必要があるし、修論も進めなくてはならない。博士号取得への道のりは、修士課程の今よりもっと険しくつらいだろう。なぜこんなにつらい思いをしてまで博士課程に行きたいんだろう?と改めて思った。

モチベーションが迷子なまま、自分の研究が進むはずはない。いったん自分の研究のことは忘れて、千葉雅也「勉強の哲学 来たるべきバカのために」を読むことにした。

本書は、「勉強しなきゃダメだ」、「勉強できる=エラい」とか、「グローバル時代には英語を勉強しなきゃ生き残れないぞ」とか、そういう脅しの本ではありません。むしろ、真に勉強を深めるために、変な言い方ですが、勉強のマイナス面を説明することになるでしょう。勉強を「深めて」いくと、ロクなことにならない面がある。そういうリスクもあるし、いまの生き方で十分楽しくやれているなら、それ以上「深くは勉強しない」のはそれでいいと思うのです。生きていて楽しいのが一番だからです。 p12-13

上記の導入部分を読んで、まさに今の自分が読むべき本だと思った。本書は第一章「原理編」と第二章「実践編」、そして両方の役割をもつ第三・四章で構成されている。

勉強とは、自己破壊である。では、何のために勉強するのか?何のために、自己破壊としての勉強などという恐ろしげなことをするのか?それは「自由になる」ためです。どういう自由か?これまでの「ノリ」から自由になるのです。p18
ともかく、この勉強論は、現時点で生活を変える可能性が気になっている人に向けられています。それは、何かモヤモヤした願望だったり、あるいは、不満や疎外感のようなネガティブな形のこともあるでしょう。p22

指導教官の「アートは楽しくて苦しい、苦しくて楽しい」という言葉を思い出した。そうだ、勉強とはそもそもつらいもので、自分の考えを繰り返し打ち壊し、アップデートしていくものだ。

学部時代、自分は現代アートについてある程度分かっていると思っていた。周囲が美術史を研究する人ばかりだったために、相対的に知識があるというだけでそう錯覚していたのだ。しかし、大学院で現代アートを本格的に学ぶようになって、自分の浅学さを痛感した。そして必死に学びを吸収するようになった。最初はつらかったが知識を吸収するにつれて解像度が高くなり、現代アートの勉強がどんどん楽しくなっていった。

このごろ勉強が楽しい時期が続いていたために、勉強のつらさをすっかり忘れていた。楽しい時期とつらい時期が代わる代わるやって来るのは、必然なのだ。たまたま今はつらい時期を過ごしているだけだと思うと、スッと心が軽くなった。

さらに「実践編」の部分を読んで、独学ではなく大学院で学ぶ意義について気づきを得た。

まず、入門書を複数比較して、専門分野の大枠を知る。または教師に最低限のポイントを教えてもらう。その上で教科書や基本書で詳細を確認する。 p210
読書の基本的な方法は、これまでの自分の実感に引きつけて読もうとしないことである。言葉の「テクスト内在的」な位置づけを把握する。勉強においてはテクストを「文字通り」の証拠として扱う姿勢が必要であり、自分なりのだいたいの理解と、どういう「文言」でかいてあったのかを区別しなくてはならない。 p210-211

私は学部時代、美術史を専攻していたが、現代アートの研究は美術史のそれとは似て非なるものである。現代アートを本格的に勉強し始めてからせいぜい1年ちょっとしか経っていないのだ。この1年で自分なりに成長したものの、分からなくて当然だ。専門書を読んでも理解できず、「無理やり自分の実感に引きつけて読もうと」してしまうこともある。

気をつけているつもりでも、無意識に都合の良い解釈をしてしまうことはしばしばある。大学院に通っていれば教授や学友から客観的な意見をもらい、偏った考えを修正することができる。他方、独学だとそれに気づかずに突き進んでしまう。運よく気づいたとしても、軌道修正が大変だろう。

自己満足の勉強であればそれでいいかもしれないが、真剣に勉強するからには実りがあることをしたい。修士論文や博士論文として研究成果を残すことは自信になるし、それ自体が明確な目標にもなる。ともに勉強する仲間から刺激を受けて、もっと頑張ろうという気持ちになれる。やっぱり博士課程に進みたいと思った。

一冊読み終えた頃には、私の心はスッキリ晴れていた。まとまった時間が確保できる連休前に読んでおいて本当に良かった。やっと自分の研究にエンジンをかけられそうだ。

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