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文法学習の「わかりやすさ」(続き)

今回は引き続き「わかりやすさ」のお話をします。

究極にわかりやすい授業の典型として「考えない授業」が取り上げられることがあります。たしかに考えないのですから難しくないのは確かです。聞いたまま、見たままを受け止めればよいという授業です。文法や語彙でいえば、「これだけ覚えれば大丈夫」式の授業です。その対極にあるのは、正解のない問題をひたすら考える授業です。ことばの学びでは「英語を世界共通語にすべきかみんなで考えよう」などという問いを投げかけるとこういう授業になりますが、文法などの学習ではあまり見られません。

話を文法などの言語知識の学習に絞ります。これらの知識を学習するときの目標は、身に付けて使いこなすことです。このため、言語知識は使いやすい形で覚えなければなりません。「考えない授業」で丸暗記のリストを提示されただけで自分でその知識をどんどん覚えて使いこなせる学習者もいます。しかしそうでない学習者も多くいますし、こちらのほうが10代後半以降の学習者では多数派になります。一方で、学習者にうんうんと呻って考えさせる授業も、学習者が「ああ、そういうことなのか」という納得のできる結論が得られなければ知識の定着にはつながりません。この「納得」ということが、ことばを身に付けていくうえで大切なのです。

理屈なんかなくても自分にとって納得ができれば、あとはそれを覚えていけばよいのです。納得できなければ、そこで出てきた「なぜ?」を解決すべく考え、話し合い、文法書や辞書にあたり、そして先生に質問するということをしていけばよいのです。文法などの学習では「わかりやすさ」よりも「覚えやすさ」の追求のほうが重要なのです。考えて理解することも「覚えやすさ」の追求の一環なのです。

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