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ケアレスミスの正体

ケアレ・スミスが来日するわけではありません。(誰だよ?)

受験生などが問題を解いていて、正解できなかったときに、「ケアレスミスだ」とか「凡ミスだ」などと言うことがあります。例えば、「不適切なものを選びなさい」という指示があるのに「適切なもの」を選んでしまったのであれば、本当にケアレスミスかもしれません。しかし、それでもケアレスミスが来日するかどうかわかりません、ではなくて、実はケアレスミスではない可能性もあります

たとえば、文法問題の適語選択問題では、素早く正確に解く人であれば問題文を読んだ段階で空欄に入る語句が特定できるので、実質一択問題となり、特定した語句を選択肢から選びます。ただし、与えられた文脈では空欄に入る語句が特定できない場合もあり、その場合は選択肢をみて適切なものを選びます。この場合も「ここに入るのはこれだけ!」という判断ができるので、長い選択肢が配列されている場合を除いて消去法にはなりません。もし、「不適切なもの」を選ぶ問題であるのに「適切なもの」を選ぼうとしている場合、ここまでのプロセスでおかしいことに気づき、問題の指示文を読み直すことになります。

「ケアレスミス」は、そうした気づきがないまま解答しているわけです。つまり、多くの場合、「ケアレスミス」は単純な不注意によるものではなく、実力不足によるものなのです。これを量をこなすことで問題になれていけば克服できると考える人もいますが、問題へのアプローチが漫然としている限りこの状況は続きます。知識が定着していない、定着しているはずの知識が適切に運用できていない状況にあるのですから、そのあやふやな知識に焦点を当てた学習が必要になります。これが根本的な基礎知識を構成するものである可能性もあります。自分はある程度できていると思ってきた人が基礎が不十分であることを認めるには勇気が要ります。自分が基礎力不足なんてあり得ない、だとか、今から基礎固めなんて間に合わない、いや自分は大丈夫、と言い聞かせて事態を解決不能に至らしめてしまう受験生は少なくありません。

でも安心してください、浪人を繰り返せば、自分の認識が間違っていたと気づきます。永久に気づかない人はあまりいないので大丈夫です。

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