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暗記に疑心暗鬼な人々

言語知識を身につけて、それを自在に、適切に、かつ効果的に使えるなることが言語学習の目標の一つです。このためには文法や語彙などの言語知識を身につけることが必要です。

言語知識の身につけ方には2つの極があります。1つの極は何でも片っ端から丸暗記していくうちに、そのしくみに気づいて使いこなせるようになるというものです。そしてもう1つの極は何でも先に理解して納得しないと頭に入っていかないというものです。実際には多くの人はこの中間に位置します。

授業では、「このクラスではここは理詰めで解説しよう」とか「ここは文系のクラスだから理詰めよりもそのまま覚えてもらった方がいいかな」などと考えながら知識を提示していきます。なぜこういうことが起こるかと言えば、言語知識にも理論的に説明が可能なものと、もはや慣習的にそうなっているとしか説明できない現象までいろいろなものがあり、さらに説明可能なものの中にも簡単に説明できるものと、すこし高度な言語学的な説明が必要なものとがあるからです

たとえば、begin to doというパターンのto不定詞の部分は名詞用法でbeginの目的語になっている、だから直訳すると「~することを始める」なんだ、という説明が理詰めでよさそうな感じがします。しかし、It began to rain.で「それは雨が降ることを始めた」では意味不明で混乱を招くだけです。実はこの文のbegin(ここでは過去形のbegan)が他動詞かどうかは専門家の間でも議論の分かれるところなのです。むしろ、[[it to rain] begin](「雨が降ること」が始まる)みたいな、文を主語にしたしくみが背後にあるのではないかと考えている研究者もいます。そうなると、一般の学習者にはそうした理屈を示すよりもbegin to doを「~し始める」という意味の、いわば熟語的な助動詞として覚えておいた方が合理的、ということになるわけです。

理解と丸暗記の境目は学ぶ項目や個々の学習者によっても変わってきます。「わかって、使って、感じ取る」を基本としつつも、ときにはとりあえず覚えておこうという姿勢も大事で、その丸暗記発動のポイントは人によって違うことがあるということになります。これが昨日の記事で書いたことにつながってきます。

「何が何でも丸暗記する」と「何が何でも理解する」の両方から自由になれば、もっと多くのことばの知識が頭に入ってきます。ことばの知識に対する疑問を大切にしつつも、1つの手段にこだわりすぎないしなやかな学びを続けていくことが大切です。

もし、「ここは丸暗記で大丈夫かな?」「ここはこういう理解の仕方でいいかな」という疑問があれば、信頼の置ける先生に質問してみることも大切です。言語知識を理解するということは、ときに自分なりの仮説を立てることでもあります。その仮説の妥当性を先生に尋ねてみることも大切なのです。

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