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遙かなる基礎

塩尻で乗り換えれば行けるのは「木曽」です。

以前こんな記事を書きました。

基礎が大切と言いますが、実際のところ、基礎が身についていないことに気づくまでに数年かかる人もいるようです。教える側に教えるべき基礎がなんだかわかっていなくて、教わる側が学ぶべき基礎がなんだかわかっていないということになれば、しばらくそのまま空回りするだけです。基礎は遠いのです。

教える側にせよ、教わる側にせよ、基礎から逃げている人々は、基礎から逃げている自覚がありません。センスが悪い、筋が悪い、地頭が悪い。そういうことで済ませて問題から目を逸らせているのです。もちろん、この場合も目を逸らせているという自覚もないわけです。

ことばを学ぶ時に基礎をなしているものは文法と語彙の知識です。これを適切に使えるように適切な学び方を実践できているかどうかを点検すれば事態は打開できるのですが、現実にはこの手順の必要性に気づいていないことが多いようです。

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