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文を書くということ

文を書くことは、書記言語を意識する第一歩です。母語の場合、音声言語はある程度までは自然に身につきます。親などの周囲の大人が発することばを耳で聞きながら母語の私的な会話に必要な知識を獲得していくのです。しかし、自然に身につくのはここまでです。ネイティブ・スピーカーはどの言語にも存在しますが、ネイティブ・ライターは存在しません。書くことは意識的に学ばなければならないのです

音声言語、とりわけ私的な日常会話は語句の断片の連鎖にすぎません。必ずしも文の形でことばをやりとりしてはいないのです。文を書くには、文のしくみを意識しなければなりません。初めは話していることばを文字にしていきます。そこから意味が明確に伝わる文を意識したりと、徐々に洗練された文を書くようになっていきます。こうした過程は、文を実際に書くことによって意識に上るものです。

文を書くことが文のしくみを意識することにつながるということは、これが言語学習において重要な学習活動の1つであるということになります。古典の学習で古典文法が身につきにくいのは、文を書く経験が少ないからです。「~形接続」と覚えるのではなく、実際に接続した形を書いて文にしてみることで、一連の知識が定着しやすくなります。現代語と古語の共通点、相違点も見えてきます。

文を書くことは外国語を学ぶ際にも有効です。書くことで文法知識や語彙知識が定着していきます。和文英訳のような学習活動は、日本文理解が半分、英文表現が半分の活動です。和文英訳は日本語とは違う英語のしくみを知る学習として、極めて有効なものです。ふだん日本語だけで生活している学習者が日本語とは著しく異なる英語という言語を学ぶには、日本語をあえて意識して、日英語の違いに正面から向き合う方が、英語の発想に近づきやすくなります。特に大人が学ぶ場合にはそうなります。

最後にもう一つ大切なことを言います。文を書くことはこのように言語学習において重要なのですが、文もまた断片にすぎないということも、頭の片隅に置いておく必要があります。文は文章の中では断片です。書記言語の言語技術を学ぶ場合は、文章を書くことが、1つの到達点になります。文を書くことはその途中目標であり、通過点にすぎないのです。

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