グローバル時代の言語学習
新年最初のお話は、「グローバル時代の言語学習」についてです。中学入試にも英語が課せられる時代です。英語学習に熱が入る状況で、私たちの言語学習のあるべき姿についてお話しします。
まず、高度な思考に耐えうる言語を持ちましょう。高度な思考ができる言語によって、高度な理解や高度な表現が可能になります。これは多くの場合、母語をこのレベルに引き上げることになります。母語は初めは家族の間、やがて友達同士の会話に使われるようになり、学校に通うようになって徐々にことばを使う範囲が広がっていきます。それでも母語は放っておいたら日常会話のレベルに留まります。相手を論理的に説得したり、抽象的な内容の文章を読んだり書いたりするには、教育によって相応の訓練が必要となります。
この記事を書いている私と、この記事をお読みの皆様の多くは日本語を母語としています。現代日本語を高度に使いこなすには、現代日本語を客観的に見る目を持つことが必要です。古典を学ぶ理由の1つはここにあります。古語と現代語の比較対照を通じて現代日本語の特質に触れることができます。書記言語としての日本語の成立には漢文が大きな役割を果たしています。日本史の教科書に載っている史料の多くは、その末尾に「原漢文」などと表記されています。ほんの160年ほど前まで、我が国の公式なドキュメンテーションは漢文によって行われていたのです。ですから漢文を読み、書き下し、現代語に訳す過程で得られるものは多いのです。また現代日本語の漢語語彙の造語法も漢文の影響を受けていますから、その点からも漢文の学習は大切です。
英語ももちろん大切です。日本語の書記言語は江戸時代末期以降、西洋語の影響も受けています。言文一致体の初期の作家に二葉亭四迷がいますが、彼はロシア語に堪能で達意の翻訳文が作成できたことでも知られています。坪内逍遙などは近世の文体の影響を受けすぎていてなかなか言文一致体で小説を書くことができなかったとも言われています。つまり、「古文」から「現代文」に変わっていく時に西洋語からの翻訳の影響があったわけです。こうした点を踏まえれば、日本語を深く知るためにも翻訳は有効な学習であることがわかります。
日本語と英語を比較対照させることは英語の発想を掴むことにもつながります。英語をより適切に、効果的に使う近道だといえます。これと母語からたたき上げた高度な理解、表現の力が合わさって、グローバル時代を生き抜く高度な英語力が身につきます。スピーキングなど、話す力も大切ですが、皮相的な英会話を学ぶことに留まっていてはなりません。学習活動のあらゆる局面で音声を重視する姿勢が大切です。平たく言えば、声に出して学ぶということです。これは英語などの外国語だけでなく、母語でも実践すべきです。日本語と英語の音韻的な違いに気づいておくほうが、気づいていない場合よりもリズムのよい発話ができるようになります。
最後に、国語、英語という縦割りのカリキュラムではなく、これからの時代を生き抜く言語力を総合的に学ぶ場が必要であるということを申し添えておきます。まずは国語と英語をそれぞれ教える教師同士の交流を深めていくことが大切です。