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フリースクールBASEとは何かーご挨拶に代えて


ブログ記事をご覧いただきありがとうございます。

合同会社OWNERS副代表のHARUです。

今回はフリースクールBASEの運営にあたり、そもそもフリースクールBASEとは何か、という内容について書きたいと思います。

具体的な設立経緯や今後のビジョンなどは別の機会に譲るとして、この記事では会社副代表としてのご挨拶に代えて、その立ち上げに至った私的な動機について、皆さまにお伝えさせていただけますと幸いです。

それでは、最後までよろしくお願いします!

フリースクールBASEとは何か

結論から言って、フリースクールBASEとは「こどもたちに発見の機会を提供する環境」であると私は考えています。

これは人が生きていくにあたり、その生命の根幹を支えているものは何か、という私の個人的な問いを起点にして到達するに至った定義でもあります。

その過程を時系列的に説明するため、きわめて個人的な私の体験を記述させていただければ、私には高校2年生の頃、1年間学校に通っていなかった期間があります。

不登校の子をお持ちの保護者様、あるいは学校に通えていない(いなかった)当事者本人であるなら分かるように、こうしてある帰属社会から離脱するに至る原因のようなものは、多くの場合人の心の中で様々な要因が複雑に、有機的に絡み合って構成されていくものであり、私にとってもそれは同じことでした。

しかし学校に通っていないこどもの多くは、私が体験したように、いくつかの共通する問題に直面することもまた事実です。

そしてその問題の一つに「やることがない」というシンプルかつ深刻な問題があります。

私のケースに立ち戻るなら、学校に通っていなかった1年間の間、私はほとんど何もせずに過ごしました。

かといってそれがネガティブな、非生産的なだけの時間だったのかと聞かれれば、現在までの自分にとってその1年間ほど濃密に過ぎた時間はなかったように思います。

学校に通わなくなった最初の頃は、膨大な時間を潰すために本を読んでみたり、特に目的もないままとりあえず過ごしていました。そして曜日の感覚が消え去って、昼夜の区別も曖昧になった頃、ついに本を読むことにも飽きて、地元の街を散歩することが多くなりました。

私の地元は世田谷の外れの、東京の中では比較的自然の多いエリアでしたので、季節の空気感が肌で感じられたりと、ただ歩いているだけでもそれなりの楽しみがあったことを覚えています。

スタッフのMASAYAには笑われかねませんが、生まれつき私には妙にスピリチュアルな気質があって、風の匂いを嗅いだり川の色を眺めたり、夜に鳴く虫の声を聞いたりすることで、突然何かのアイディアが閃くこともしょっちゅうでした。

その期間に浮かんだ様々な夢想は、綺麗なものからそうでないものまで、ほとんどが実現しないまま消えてしまいましたが、それでも自分の外部にあるもの、言い換えれば自分とは異なる生命現象に自分の内部が感化され、何かしらの触発をもたらすという感覚は、当時からしてもとても不思議なものでした。

そして紆余曲折し、大学に入ってから、その感覚を究明しようとまたたくさんの本を読み、それは哲学の用語で言うタウマゼイン(thaumazein)と呼ばれる類のものだったのではないかと思っています。

タウマゼインとは自然現象の不思議さに直面した際に訪れる現実の異化作用を表しており、例えば夜空を見上げた際、そこに光る星々の輝きに、普段住み慣れた日常生活とは異なる世界観を見出したりと、ある種の崩壊感覚をともなう高揚感を意味しているようです。

自己と外界とを隔てている膜のようなものが薄れ、際限なく自然が体内へと流れ込んでくるような感覚、といえば当時の私の実感に近いかもしれません。

こうして学校社会からドロップ・アウトしていた私の1年間は、思い返せばこのタウマゼインに類する感覚に満たされながら過ごした期間であり、いまだ言語化することのできない様々な不思議と、いずれはその秘密を自分自身で解明してみたいという、曖昧な未来に対する期待を抱かせてくれた期間でもありました。

教育とは何か

やがて社会に出る年齢になり、教育という選択肢は自然と現れてきました。

そして塾の講師や放課後デイの指導員として働いているうち、私はいつしか教育というものを「発見の機会を提供する行為」と定義するようになりました。

発見、つまり知的探求とは代償のない歓びであり、何からも侵されない一人だけの価値であり、全ての人間にその歓びを享受する資格がある。

ならばその知的探求の機会を学校内部に限定させず、その外側にも作り出すことで、社会を補完する役割を担うことができるのでないか。

あるいは何かに対し不遜な考えなのかもしれないが、青年期の自分が感じたような自然がもたらす不思議な高揚感と未来への期待を、間接的な形でこどもたちに伝えたい。

そして何よりも大切なことは、そうした代償なき歓びへの期待は、それだけで人を生かし得るほど素晴らしいものである。

そうした考えは会社代表のZUMAとも多くの部分で一致し、ある真夏の午後、フリースクールBASEは野々市市の一角で静かに産声を上げることになりました。

2024年6月現在、BASEには7名の児童が在籍していますが、生徒はそれぞれ自分の興味のある物事を追求しています。

絵を描いたり、勉強したり、ゲームしたり、本を読んだり、ただリラックスしていたり。

私は一時的に現場を離れ裏方の業務を行っていますが、ZUMAからそうしたこどもたちの様子を聞くたび、BASEをつくって良かったと心から思います。

やりたいことを、やりたいだけやれば良い。

明日のために今日を生きるのでなく、今この瞬間に感じる歓びを信じて明日に向かってほしい。

そして願わくばその歓びの中から、自分にとって大切な何かを見つけ出してほしい。

そうした試みにはある程度の時間が必要であるため、「教育」という言葉が一般的に想起させる能動的な取り組みを、BASEではあまり行っていません。

それよりは自由が担保された環境の中で、こどもたち自身が自発的に何かを探究する過程を重視し、スタッフはその環境を提供する役割を担うまでに留まる、それはフリースクールBASEの基本的なポリシーでもあります。

終わりに

長くなってしまったため結論に還りますが、こうしてBASEの活動の中からこどもたちが何かを見つけ、そして新しい何かを期待してBASEから旅立ってくれるとしたら、学校の運営を担う身としてこれ以上の幸せはありません。

今後も会社代表ZUMAとともに、こどもたちとともに謙虚に世界と向き合う姿勢を大切にしながら、フリースクールBASEの運営活動を行っていくことを約束いたします。

最後までお読みいいただきありがとうございました。
今後とも、フリースクールBASEをよろしくお願いいたします!





合同会社OWNERS 副代表 
深瀬 陽


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