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好きや才能は人の評価や言葉によってつくられることもある<総理大臣賞と鋭い目のニワトリの話>

仕事でイラストも描く私は、絵を描くことが好きだと思われている
でも描くことが好きかと聞かれると自信が無い
絵を描くのが好きな人って
毎日何時間でも描いていられる人な気がするからだ
私にとって絵は人に喜んでもらったり、何かを伝えるときの手段に近い 
ただ小さい頃からたまたま絵が得意なほうだったんだろうなとは思っている

なぜ絵が得意だっただろうなんていう客観的な感じかというと
小学校2年生の頃から行内写生大会は金賞で
ポスターなど絵に関してのことは大抵入賞していたからだ
更にその上の全国のナンチャラ展では特選に選ばれたり
作品がもう返却されないところまでいってしまうからそう思っていた

そんな、きっともう手元には戻らない自分の作品を見たくて
期間限定で展示されている遠い会場へ家族と足を運んだこともあるけれど
昨日で展示が終わったという残念な結果で、見ることはできなかった
どうせ保管してあってもお披露目は無いだろうし処分されるんだろうから
できれば返却してもらえたらいいのに、って今でも思っている
絵に限らず全国から集められた作品はどうなっているんだろうか

話を戻して、他に絵が得意だと思えた経験というと
小学生の時環境ポスターでは総理大臣賞を受賞したことがある
実はこれ、正確には私の妹が受賞したのだ
たぶん私は小5~6年くらい、妹は小2~3年生くらいかな
どういうことかというと、妹に頼まれて私が描いた作品が選ばれたから
黄色い背景色に中央に細長い宇宙人二人が向かい合って立っている
その宇宙人の足元に集められた地球のゴミたち
それを見て宇宙人二人が呆れている様子の絵だ(ところで宇宙人の数え方がわからないが、宇宙”人”だからこれでOKかな)
描いたときは妹のだからとふざけて描いたような気もするし
ちゃんと真剣に描いたような気もするし
でもまさかこれを本当に妹が出すとは思っていなかった                 
しかもそのゴミは、妹が新聞に載っていた画像を小さく切り取って
重ね合わせたもの
かっこよく言えばコラージュ?みたいな
だけどそのゴミの中に小さな八代亜紀さんの若い頃の顔も入っていた
なぜ幼い妹は八代亜紀さんを入れようと思ったのか
しかも当時からしても若い頃の八代亜紀さんの顔…なぜなのか
なぜゴミの設定の中に人面(生首)を張り付けたのか
なぜ厳しくて有名な小学校だったのにそれを代表作品にしたのか
なぜ総理大臣はそんな作品を選んだのか
謎だらけだ

そしてその時の総理大臣は誰か
海部俊樹さんだ

でもその作品が認められたということは
こんなテイストもありなんだ!
と幼い私のアーティストの引き出しは増えた

幼い頃に他者に認めてもらえるということは本当に大切だと思う
それが一気に「正解」となり、私のように新しい引き出しが追加されるのだ
もし否定されていたならば「間違っていること」と受け止め
引き出しは増えることなく、自分は正解を描くことはできない人で
絵が下手なんだ、と自分の中で認定してしまう

もう一つ幼いアーティストの私を認めてくれた出来事がある
小学校2年生の時の写生大会だ
学校の飼育小屋で飼っている”ニワトリ”が題材                          
2年生みんなで歩き回るニワトリを見ながら描き始めた
少しグレーがかった色合いのニワトリ、ふんわり柔らかそうな
肉と羽の感じ、なんのためにあるのか知らないトサカ
細いけれどしっかりと体を支える鳥の足や遠くを見つめる鋭い目
気付けばかなりリアルなニワトリを描いていた

そして他の児童たちの作品と並んで廊下に展示されたその瞬間
自分の作品を見てとても大きなショックを受けた
クラスメイト、他のクラスの子、みんなが描くニワトリは
目がまん丸で、とてもかわいいのだ!
優しい声をかけてくれそうな「おはよう!今日も良い1日を!」と
声をかけてくれそう 簡単に抱っこできそうで、ぬいぐるみのようだ
それに対して私のニワトリは「自分に誇りもってますけど、なにか?」と
頭に王冠が乗っているようにも見えるニワトリ
ニワトリであることを誇りに思い堂々としている
そして目はとても怖い 足もリアルでこわい
「あーーーやっちまった、こわすぎる」と2年生して私は思った
あきらかに廊下に貼られている私の作品は、浮きまくっているのだ
明日には金賞、銀賞、銅賞、佳作の作品が選ばれる
私はかなりガッカリして家に帰った

そして翌日
学校に登校し教室に入ろうとした瞬間、目を疑った
私の作品に金色の印が着いていたのだ!
これは本当にびっくりした
これでいいんだ これは「正解」でいいんだ、と
人と比べて気にすることも無いし
みんなと違っているからといって間違いではないんだと

それから自信がついた私は、”自分の中”で「絵が得意」な人になった
結局のところ、こういった学校の出来事や、人の評価というものは
子ども達に大きく影響する その気になれば&その気にさせることで
いくらでも眠っていたチカラは発揮されるのだ
そして自分で私は絵が得意なんだと決められる
すると自然に描くことが多くなり
どうしたらうまく描けるのかと考え工夫をし始める

一人一人の個性や才能をつぶしてしまっているのは
何気ないオトナ達の言葉や態度であると私は思う
そして小さな出来事やキッカケで人はなんにでもなれるのだ


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