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名前ですぐ出かけそうになる

 蝶の図鑑を読んでたんです。載っている蝶は国内限定ではありましたが、それでも本当に膨大な蝶がてんこ盛りでございました。

 書いている方は当然、蝶の専門家です。図鑑を出すくらいですから、業界の有名人かもしれない。少なくとも、その辺の人に比べて遥かに蝶の世界へどっぷり浸かってる方に違いない。

 集落とか業界とか、そういうちょっとした世界が出来上がると、その世界独自の言葉が生まれてくるものです。生まれた言葉の名称は時と場合によって違ってくるようです。例えば、隠語、業界用語、専門用語、方言など。もちろん、メジャーな言葉からマイナーな言葉まであるんだと思います。

 蝶を研究する方々の世界だって例外ではありません。図鑑を読んでいると、やはり専門用語と思われる単語がチラホラ出てくる。書いてる側も専門用語を使っているという自覚がおありなのか、解説という形で単語の意味を分かりやすく説明していました。

 説明があるのは大変ありがたいんですが、こういう「その世界独自の言葉」は往々にして独特なんです。日常的に使われているような単語を全く違った意味で使う場合もあれば、日常ではまず使わない単語を用いている場合もございます。

 蝶の図鑑でも出てきました。「迷い蝶」。悲しさと美しさを兼ね備えたような単語です。文学的なものを感じさせるのか、軽く検索したら詩集のタイトルになっているのを発見いたしました。

 「迷い蝶」は本来生息していない場所で見かける蝶を主に差す単語のようです。蝶と言えばヒラヒラと飛ぶ姿で知られますが、飛び方からもお察しの通り、風の影響を受けやすい生き物です。だからなのでしょう、季節風や台風によってとんでもないところまで飛ばされてしまう蝶が毎年そこそこいるらしく、そんな蝶が専門家によって「迷い蝶」呼ばれているみたいです。本来生息していない場所に来てしまうわけですから、多くの「迷い蝶」は子孫を残せずに消えてゆくようですが、きっとごく稀に見知らぬ土地で勢力を拡大する時もあるのだと思います。

 他にもこんな専門用語が出てきました。「卍巴飛翔(まんじともえひしょう)」。どこかのありがたいお経から抜粋した単語か、はたまた少年漫画に出てくる必殺技かと思いましたが、どちらも違うようです。意味は「2匹以上のオス蝶がクルクル回りながら飛ぶ行為」なんだそうです。特定の種類の蝶ではしばしば見られる現象らしく、図鑑を読み進めると卍巴飛翔という単語がちょこちょこ出てくるんです。専門家にしてみたら当然「卍巴飛翔するんだから卍巴飛翔って書くだろ卍巴飛翔って」と思われるんでしょうけれども、蝶の図鑑をじっくり読む機会がほぼ初めての私は「卍? 卍? 蝶に卍?」と面食らわずにはいられません。卍に疑問符をくっつける自分に戸惑いを覚える有様です。

 何が驚いたって、「卍巴飛翔」がもともとあった単語ふたつを組み合わせて作られた専門用語である点です。goo辞書は「卍巴」をこういう意味だと主張しています。

《「まんじどもえ」とも》卍や巴の模様のように、互いに追い合って入り乱れること。「敵味方が―と切り結ぶ」

https://dictionary.goo.ne.jp/word/卍巴/

 「卍」は文字通りの形ですね。一方の「巴」は次のような模様です。

ウィキペディア「巴」より引用

 雷様の太鼓で有名なやつですね。

 蝶もそんな感じで入り乱れて飛ぶんでしょう。しかし、「飛翔」はともかく「卍巴」を採用するセンスです。命名者は天然で選んだのか、「ちょっととがったとこ見せちゃおうかな」と思って名付けたのかは分かりませんが、お陰でこうやってネタにさせていただいております。ありがとうございます。

 ひょっとすると蝶の世界には他にもこんな謎センスの専門用語があるのかもしれない。そう考えるとあれこれ調べたくなりますが、どうにか思い留まりました。キリがないからです。世の中、単語の数だって膨大ですけど、それに加えて本当に様々な世界があるんです。いちいち追っても途方に暮れるだけです。

 仮に調査を始めても、最初はこれくらいでいいかと10個に1個見つかる面白いやつを選ぶんですけど、どうせ途中から「それじゃだめだ」とストイックの迷宮に迷い込み、100個に1個あるかどうかレベルの面白いものを探し求めんです。もちろん、見つけられるんであれば1000個に1個、10000個に1個のものだって見つけたい。そんなことばかりやってたら、人の寿命じゃいろいろと間に合いません。

 私のnoteでは不思議な名前の高校を集めてまとめていますけれども、昔は暇だったせいもあって高校を現地まで見に行っていました。そのためだけに東京から北海道の離島へ乗り込んだりしていましたが、「ちょっと待て、これどんだけのカネと時間がかかるんだ」と我に返って途中で辞めてしまいました。

 そんなわけで、面白い名前に出会うと大変です。すぐ調査をしたり旅支度を始めたりしたくなるんで、必死になって欲望を抑え込むんです。もちろん、これを書いている今も同様です。一刻も早く卍巴飛翔の名を脳の奥に押し込んでフタをし、ありがたい念仏でも繰り返し唱えて身体から欲望という欲望を虚空の彼方へ追い出そうと思います。

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