見出し画像

ダンゴムシ避難所

 アパートの1階に住んでいたことがあるんです。窓を開ければいわゆるテラスがありまして、洗濯物を干す場所にしていたんですが、足元は砂利が敷きつめられています。外なので、その辺の石をひっくり返すと知ってる虫から知らない虫まで結構見かけました。

 アパートは小高い丘の上にあるため、大雨で水没する心配はなかったんですが、それでも警報級の雨が降るとテラスはみるみる水が溜まってゆき、並の靴ではすぐにずぶ濡れになってしまうくらいにはなりました。さすがにちょっと不安になった私、何気なくアパートの外壁に目をやると、いつもと様子が違うんです。水たまりの水面から10センチくらい上あたりのコンクリートに何やら黒いイボがポツポツとできているんです。

 顔を近づけて確認すると、黒いイボだと思っていたものは全部ダンゴムシでした。みんな濡れたコンクリートの壁にしがみついたままジッとして動こうとせず、ひたすら雨が止むのを待っているかのようです。

 つまり、こういうことなんだと思います。普段は石の下でひっそり暮らしていたダンゴムシでございましたが、にわかに空が掻き曇り、大粒の雨がバチバチと降りまくる。それだけなら大した影響はなかったんでしょうが、住み家が水たまりに沈むとなれば話は別だったんでしょう。ダンゴムシは次々と「これはヤバい」と言わんばかりに石の下から脱出し、とりあえず水が来ないコンクリートの壁まで避難した。

 私たち人類は大雨だ洪水だ浸水だとなりますと、まず人やそれに関連する被害ばかりに注目してしまいます。しかし、大雨で大変な目に遭うのは当然ながら人間ばかりではございません。ダンゴムシのように、地上を歩き回る小さな虫となりますと、事は更に深刻です。深さ1センチの水たまりが命取りになりますから、サッサと安全な場所へ逃げるしかない。

 アパートの外壁を丹念に調べてみると、場所によってはダンゴムシが結構な密度でひしめいています。別にダンゴムシは嫌いじゃありませんけれども、たくさんのダンゴムシがひしめいている光景は結構な衝撃です。

 そう言えば、私の地元は昔から水害に悩まされていました。今ではガッチリとした堤防のお陰で、水害の頻度も減ってゆきましたが、半世紀以上前ともなりますと、ちょっと調べれば水害によるエピソードがたくさん見つかる、そんな地域です。

 中でも印象的だった話があります。その時も近くの川が氾濫し、集落は濁流であふれていたそうです。慣れている人は早くに避難し、逃げ遅れた人の中には電信柱に上って救助が来るのを待っている人もいたそうです。

 電信柱に上った人は、とりあえず感電に気をつければ命は保証されそうだったため、意外と余裕な表情だったんですが、しばらくすると急に顔から血の気が引き、近くの岸にいる野次馬に大声で助けを求め始めました。野次馬たちは「急にどうした」と思ったんですが、電信柱を見て理由が分かりました。蛇が上ってきていたんです。蛇としては大水から逃れられてホッとした瞬間なんでしょうが、先客の人間からしてみたら恐怖でしかなかったんでしょう。

 思わぬ水害にビビった蛇が私の部屋へ上がってくることを思えば、ダンゴムシの一団が壁に避難してくるなんて可愛いものです。蛇がやってくるくらいなら、いくらでもダンゴムシに避難所を提供する気になりました。ちなみにそれから2週間後、私のアパートはもっと強烈な大雨に見舞われまして、テラスの水たまりも前回よりしっかり増水していました。気になってアパートの外壁をみたのですが、避難しているダンゴムシは1匹もいませんでした。

 大自然は時にあらゆる生き物を押し流す、非常に無慈悲な存在だと改めて痛感いたしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?