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最高で最高を裁く

 「もし過去へ行けるようになったら」という仮定は雑談から創作物、時には学術的で真面目な議論に至るまで、いろんなところで出てきます。でも、私にそれをされると困ってしまう。過去に行きたくないからです。理由はトイレです。

 ここ数十年でトイレは本当に綺麗になりました。私が子供だった頃にちょくちょく見かけた、この世の地獄みたいなトイレは非常に少なくなりました。もちろん、未だに酷い状態のものは見かけます。緊急事態でも使うのをためらってしまうトイレは確実にある。山奥のため本格的なトイレの建設が難しいなど仕方のない理由でそうなっている場合もあれば、古いトイレが何らかの理由でそのまま残っている場合もございます。とは言え、新しめなところを中心に商業施設や公共施設トイレはハズレが非常に少なくなりました。

 もちろん、私だって過去に何があったか気にはなります。見に行けるなら見に行ってみたい出来事もある。でも、においから殺しにかかってくるトイレばかりだと思うと尻込みしてしまう。何しろ半世紀さかのぼっただけで田舎では水洗トイレがグッと減ってくるんです。代わりに台頭するのは当然ながら「汲み取り式」、俗に言う「ぼっとん」です。用を足す時に下を見るといろんなものが見える魔境のようなトイレです。だからと言って、便意に耐えながら過去の世界を見て回るのは現実的ではない。というか、そこまでして見たい過去もない。そのため、私は過去へのタイムスリップには、やや否定的な立場にいます。

 ところで、先日、何となくウィキペディアをダラダラ見ていたんです。本当に何となくなので、脈絡も何もありません。だから、行く用事がないのに「最高裁判所」の項目を見ていたんです。

 そこに気になる文章がありました。

略称は、一般には「最高裁」が通用するが、法曹界ではさらに簡略化し「最高」とも呼ばれる。

 法曹界でそんな最高最高言ってるとは思いもしなかった私、ついつい「嘘じゃないか」と思ってしまいました。ウィキペディアなんて普通におかしなことが書かれている場合もありますし。しかし、誰でも編集できるウィキペディアにおいて、上記一文はいつまで経っても訂正されません。ひょっとするとマジなのかもしれません。

 となるとです。最高裁でないほうの「最高」が事件に関わってくるとややこしくなるはずなんです。私が知っている事件の中で最高裁じゃない方の「最高」が最もかかわったのは宗教団体「法の華三法行」に関するものです。事件当時、「法の華三法行」は怪しい新興宗教の典型みたいな扱いで、教祖である福永法源が信者に問いかける一言「最高ですか」が広く知られ、そしていじられてきました。

 結局、福永は信者に対する詐欺で罪に問われ、実刑判決が確定。刑務所に服役し、出所後もいろいろと宗教的な活動をしているようです。

 この時の裁判では、最高裁が上告棄却の判断を下しているため、そこまでガッツリとではありませんが、一応はふたつの「最高」が相まみえたわけです。事件を担当した法曹関係者はきっとふたつの「最高」の間であれこれややこしい目に遭ったでしょうし、中には隠れてニヤニヤしていた方もいらっしゃったかもしれない。

 私、この頃の最高裁にだけは、例えトイレが全て「ぼっとん」だったとしても、便意を必死に我慢しながらでも見学したいと常々思っています。というか、タイムマシンが作られるような高度な社会だったら、ついでに高性能トイレをタイムマシンに設置できるはずです。だから、私は悠々と最高が最高を裁いている光景を楽しめますし、他の方だって地獄のようなトイレなんかで用を足すことなく気軽に時間旅行を楽しめるはずです。

 タイムマシンにはトイレ常備。今回の要望は以上です。

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