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自家製伝承、オリジナル塚

 タイトルのインパクトだけで読んでみた本があります。「首塚・胴塚・千人塚」です。

 「塚」はもともと「丸く盛り上がった土地」を意味し、しばしば人工的に作られたものを指します。そのためか、古墳などお墓の名前につけられやすい文字になっています。

 だからでしょうが、首塚のような塚は昔から呪いや祟りといったホラーな視点で語られる側面が強いんです。ただ、借りてきた本は学術的な要素が強く、塚にまつわる怪談があるならばそれはどこで起きた出来事に由来しているのか、そもそもその出来事は歴史的事実なのか、冷静に分析しています。巻末には全国の首塚・胴塚・千人塚の一覧まで載っていまして、試しに地元の塚を調べますと、「え、そんなところにあったんだ」というものばかり書いてある。地元の人間が見逃すレベルの塚まで取りこぼさない。まさに塚調査のプロです。

 その塚調査のプロが著書で記したところによりますと、首塚などにまつわる伝承を学術的に調査すると、歴史的事実と明らかに異なるものもあるようです。つまり、「史実と照らし合わせるとどう考えてもそこで亡くなりようがない」ですとか、「史実と照らし合わせるどう考えても首がそこに運ばれるわけがない」ですとか、そういう歴史的ツッコミの入る余地がある伝承がある。中には、作られた時代も理由もよく分かっておらず、後の人間が勝手にそれっぽい伝承をくっつけたタイプの塚もあるとのこと。リアルって意外とそんなもんですよね。

 塚調査のプロは「歴史的に正しいかどうかはともかく、その土地の人がその伝承を信じたという事実を重視したい」という、大人の視点で調査結果を記しておられました。確かに、昔の人がなぜ出どころ不明の塚に新しく伝承を付け加えたのかという視点は、それだけでひとつの学問にもなりうる興味深いものです。

 一方、大人っぽさに欠ける私は思いました。やりようによっては新しい塚が作れるんじゃないかと。つまり、土地をそれっぽく盛り上げて、古めかしい石をかき集めて加工したのち、綺麗に積み上げてそれっぽいものを作る。そして、適当に作った伝承を私のオリジナル塚にセットし、以降は長期間にわたって粘り強く人々の間に浸透させてゆく。そうすれば、いつの日かオリジナル塚が首塚・胴塚・千人塚の一覧に載る日がやってくるのです。

 そんな嘘をついて何になるのか。時間と手間が結果に全然見合ってません。何が楽しくて長期的な視点でバチに当たっていかねばならないんでしょうか。

 いや、伝承を付け加えた人も、もしかして最初は軽い嘘だったのかもしれません。しかし、その嘘が事実として人々の間に広がってしまい、いよいよ引っ込みがつかなくなって現在に至った可能性がある。それはそれで興味深い話です。こんな視点からですが、歴史調査の魅力に触れた気がします。


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