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特殊コーティング卒業アルバム

 卒業アルバムというやつを初めてもらったのは小学生を終えた時でした。前々からなんか写真を撮られてるなと思ったら、いつの間にかできあがっていて、卒業式の日に渡された。私にとってアルバムはそんな感じでした。

 いざもらってみると、あまりにも使い道が謎すぎて戸惑った記憶があります。とりあえず、中を見ると同級生の写真がたくさん並んでいるんですが、大半は同じ中学に進む面々なので、眺めて懐かしむこともできない。

 そんなある日のことです。今となっては理由を思い出せませんが、修正ペンを持った途端、私の中の芸術家が急に目覚めたんです。そして、芸術家はこう囁いたんです。「お前の全てをアルバムにぶつけろ」と。

 気づいたときには、私の卒業アルバムは隅から隅まで修正ペンで落書きしまくってました。内容は当時ハマってたゲロのように爆弾をはくキャラクターとか、何なら今も変わらずハマってる節があるうんことか、そういう頭が悪い、むしろ頭に悪い絵や文章で敷き詰めてしまったんです。アルバムの表紙は本来、藍色だったのが、遠くから見ると白く見えるほどです。

 こういうどうでもいい作品に限って修正液の乾燥も順調に完了し、アルバムは誰にも見せられない状態へと変貌を遂げてしまいました。とはいえ、誰にも見せる予定がなかったので、しばらくは問題ありませんでした。というか、それを見越して私の中の芸術家を暴走させていたんです。

 状況が変わったのは中学3年になってからでした。当時、クラスでは受験勉強そっちのけで彼氏彼女を作るのが流行りまして、何の間違いか私にもパートナーができたんです。もちろん、人並みに浮かれていた私ですけれども、ある日、そんなパートナーがこんなお願いをしてきました。

「小学校のアルバムを貸してほしい」

 あんなもん借りてどうするのか。そう質問を投げかけるほどの度胸は私にありませんでした。アルバムに散りばめた頭に悪い落書きが思い浮かんで、それどころではなかったんです。断る勇気もなければ誤魔化す話術もなかった私は、観念して言われた通りにアルバムを貸すしかありませんでした。

 貸したとき、アルバムを見たパートナーは何も言いませんでした。返すときもパートナーは何も言いませんでした。今でも、彼女が何のために他人の小学校のアルバムを借りたのか、未だによく分かりません。ただ、彼女は彼女なりに「この落書きに触れたらいかん」と思ったのだと思います。

 結局、付き合った期間はそんなに長くありませんでした。「中学生ならそんなもんっすよ」という考えはもちろんあると思います。ただ、私の場合は品も知性もない特殊コーティングがなされたアルバムという重大な要素があるために、あれがなかったらどうだったのだろうと今でもたまに考えます。

 アルバムは今でも頭に悪い状態で、実家のどこかに眠っていると思います。

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