見出し画像

日本語能力底辺決定戦

 母国語のはずなのに日本語の読み書きを間違えるんです。もちろん、人間なんだから失敗はある。ですが、そう開き直るにはあまりにもアホな間違いをしてしまうんです。

 高校の友人にも私と同じく日本語が不自由な人がいました。仮に山本君としておきます。彼の文字は芸術が爆発したような崩壊具合でして、更に漢字の知識が欠如していて誤字脱字が日常茶飯事なんです。しかし、それを自覚しておきながら直す気がない。私と同様、筆談に最も向いていない人類だったんです。

 当時は高校生でしたから、お互い「こいつよりはマシだろう」というどうしようもないプライドを抱え、相手の下手くそな字や数多の悪い誤字脱字をいじり合っていました。国語のテストでは常に1点を争う戦いを繰り広げておりましたが、どちらも壊滅的な得点に変わりはない。底辺の泥仕合とはまさにこのことです。

 夏休みが明けたある日のことです。山本君は自慢げな顔で私に読書感想文が書かれた原稿用紙を見せつけました。「俺はこんな字も書いてきた」。そう言いながら、山本君はとある文字を指さしました。「急遽」の「遽」の字でした。

 「お前、辞書ガン見で書いただろ」と私が講義したところで、山本君の耳には悔し紛れの捨て台詞にしか聞こえていないのか涼しい顔です。「ちゃんと確認してみろよ、合ってるから」と挑発してきたので、すぐに辞書で確認してみると確かに字は合っている。相変わらず崩壊しかかった字ではありますが、点の数まで完璧です。山本君は嬉しさが抑えきれないのか口元が緩んでいました。

 ただし、「遽」の字だけ他の文字より一回り大きいんです。難しい字を書こうと力が入りすぎたのでしょう。何なら原稿用紙の枠から上下左右にはみ出している。当然、私はツッコみました。

「字の大きさ、おかしくないか」
「何とでも言えよ。さあ、お前の読書感想文を見せてみろよ」

 読書感想文の良し悪しはどれだけ難しい字を書くかではなく、どれだけうまく本の魅力を書くかだと思うんですけれども、アホな高校生ふたりにそんなことが分かるわけもありません。山本君の挑発に腹を立てた私、読書感想文の公開を拒否して、山本君の文章に致命的なツッコミどころがないか目を皿のようにして探しました。

 そこは「字が汚い」「誤字脱字が酷い」「でも直す気がない」という、私に負けず劣らずの日本語三重苦を持つ山本君です。予想通り、ちょっと探しただけで間違いは次々に見つかりました。中でも印象的だったのは「願」という字の間違いです。「頁」の中央部にある「目」が「日」になっていて、逆に「原」の中央部にある「白」が「自」になっていたんです。

 山本君はきっと「遽」の字を正確に書くことに集中しすぎたのでしょう。いつもの文章より誤字脱字が大量発生していました。誤字を一つひとつ指摘していくたびに山本君の自信は音を立てて崩れていき、指摘が13個目に入ったところで「もういいや、感想文返して」とギブアップしてくれました。

 日本語が不自由なんだから無理に難しい言葉を使わず、まずは簡単な言葉をなるべくちゃんと使ったほうがいいのだと、私はうなだれる山本君から学びました。それからも割とその教訓を大事にしてたつもりなんですが、昨日も「ね」を「ぬ」と読みました。もう一度、五十音から勉強し直す必要がありそうです。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?