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ワールドカップと研究者たち

 ワールドカップという大会があることは知っていました。開催期間はニュースでバンバン報じていましたし、地元はサッカーが盛んな土地柄ということもあって周辺にサッカー好きが多い環境でしたので、直接サッカーと関わりのない生活をしていてもどの国が強いだの日本代表がどうだのという話はチラホラ耳にしてはいたんです。

 ワールドカップがどうやらものすごい大会らしいと思い始めたのは大学生になってからでした。大会が近づくと周囲でサッカーの話をしてくる人が圧倒的に増えたんです。

 それは教官も同じでした。教官の場合は興味のある人とない人が両極端に分かれまして、興味のある人はもう、それまでサッカーの話なんか全然してなかったのに、大会が間近になると「この国はこういう国民性だからフォーメーションもこうだ」みたいに、聞かれてもないのにサッカーの話を講義に織り交ぜてくるんです。

 留学生もまた同様で、たまたま私がいた研究室は母国がワールドカップに出場している人ばかりだったため、大会前後はみんな浮足立っていました。普段は非常に真面目で、噂じゃ国に戻れば政府が教授の椅子を用意して待っているとかいう優秀な留学生ですらワールドカップの支配からは逃れられていませんでした。自国が勝てば研究に手がつかず、自国が負けても研究に手がつかない。驚いたのは同じ地域のワールドカップ出場国が負けた次の日も上機嫌で研究に手がつかなかい様子だったことです。どうやらサッカーにおいてはその国とバチバチのライバル関係らしいと後で知ったんですが、「人の悪口を一切言わない人がこうなるなんてワールドカップとは相当なもんだな」と思った記憶がございます。

 ワールドカップに興味がない人はない人でワールドカップの存在は知っていて、自分は熱狂しないけど盛り上がる人の気持ちは分かりますよというスタンスの人が大半でした。何しろ、連日ニュースで結果を放送しますから、日本代表の結果くらいはみんな頭に入っていたと記憶しています。

 ワールドカップが厳しい戦いであるということは、サッカーをちょっとでも知っている人なら誰でも分かっている常識ですけれども、大学の実験の授業も、ワールドカップとはいかないまでも、厳しいものです。

 高校までだったら授業の時間が決まっていますから、その時間に納まりそうな実験をするようになってますし、授業時間が終わりに近づけば実験は強制的に終了する。その後はプリント1枚程度のレポートを書いて終わりとなります。大学ではそうはいきません。より本格的な実験をするようになるからです。そもそも予習が必須な実験が出てきます。予備知識がないとスタートダッシュで圧倒的な差がつくわけです。更に実験の終了時間が決まっていません。ちゃんとしたデータが取れるまで教官が実験を終わらせてくれないんです。そもそも実験の後に講義が入れられないような時間割になっていますし、指導教官も「今日は夜までかかるな」と当たり前のように言う。実験が終わったら終わったで実験データをもとにレポートをまとめなければいけませんし、数時間かけて書いたレポートが悲惨な評価になるなんてザラです。そんな実験だって卒業論文・修士論文・博士論文に比べれば激ゆる案件ですし、プロの研究者から見れば軽い遊び以下の何かだったりするんだと思うんです。

 そんな大学の実験ですが、ワールドカップ期間中になると様子が変わります。実験が異常に早く終われば試合に間に合うと分かると、学生はもちろんなんですが、教官もその気になってくるんです。いつもならばよほどの理由がない限りはデータをキッチリ取らないと絶対に実験を終わらせてくれなかった教官でさえ、「今日はもういいや」とか言って適当なデータで実験を終わらせてくれました。恐ろしい早さで実験が終わると学生も教官も留学生もテレビの前に集まって飲み食いしながらサッカーを見て騒ぐ。それがワールドカップ期間中に某大学で起きた光景でした。

 今回は時差の関係であまり授業に影響はなさそうですが、夜中まで研究室にこもっている方々は試合中になれば実験を中断しているでしょうし、勝った国の留学生や教官は理想郷の中にいるかのようなフワフワした感じで日々を過ごし、負けた国の留学生や教官はこの世の終わりが更に悪い意味で終わったような表情のまましばらく生活するんだと思います。

 ワールドカップの影響力は研究機関にも及んでいる。改めてすごい大会だと痛感しています。

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