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入学試験でボーっとする

 昔からボーっとする人間でした。理由は分かりません。勝手にそうなるんです。おもちゃで遊んでいても、食事をしていても、手を止めてぼんやりしている子供でした。両親が「またボーっとしてる」と指摘されると、ようやくハッとして手を動かし始める。それでボーっとする癖が直ったかというと生まれつきの性質はそんなに甘くありませんで、ボーっとしながらおもちゃで遊んだり食事をしたりする技術だけが磨かれていったんです。実際、その技術を習得してからは両親に注意されなくなりました。技術の勝利です。

 ボーっとしている時に何を考えているのか。結論から言えば本当にいろいろです。近日中に解決しなければいけない課題の場合もありますし、何の役に立つのか以前に何故そんなことを考えたのかも不明な、訳の分からない妄想の時もある。

 自身のボーっとしがちな性質が何か不利に働いた記憶は意外なほどありません。もちろん、ボーっとしていたために失敗した経験はあるんですが、失敗なんてボーっとしてなくてもするんです。ギンギンに覚醒している時はギンギンに覚醒している時なりに失敗する。じゃあ一緒じゃんというわけで、ますますボーっとするわけです。

 ただ、本を読むのは大変です。書いてある文章をきっかけに、本文とは全く関係のない事柄をぼんやり考え始めてしまうんですが、ボーっとしながらも文を目で追い、良きところでページをめくるんです。一応、身体の動きとしては読書をしてるんですが、当然ボーっとしていますから書いてあることは全く頭に入っていない。数ページめくったところでようやくハッとして「どこまで読んだんだっけ」とページを戻すなんてザラです。

 それでも今の時代、何らかの文章を読まねば生活できませんから、ボーっとしながらもどうにかやってきました。とは言え、なかなかボーっとできない時があるのもまた今の時代というやつです。例えば、試験の類です。筆頭は大学入試センター試験、今でいう大学入学共通テストです。

 当時はそれなりの備えをしてきたつもりですが、やはりどうしても緊張はするものです。ガチガチの身体をほぐそうと、試験会場で友人にギャグをかますもスベって余計ガチガチになるなんて失敗を重ねつつ、指定された席について、いよいよ試験開始まであと数分の段階になりました。机には既に答案用紙が置かれ、開始時刻まで中を見ないよう試験監督から告げられます。あと数分で自分の人生を左右する試験が始まる。緊張するなという方が無理な話です。

 こんな時ではあるんですが、逆を言うと試験開始までの数分間は何もすることがありません。余計なことをして試験監督に注意され、ちょっと凹んだ状態で試験を開始するなんてごめんですから、その場で大人しく待つしかない。ただただ椅子に座って問題用紙を眺めながら時間が過ぎるのを待つだけです。

 いや、自分でもビックリしました。センター試験開始数分前のこのピリピリしまくった状況でボーっとしてたんです。

 高校生の私は悟りました。「この状況でボーっとするんだったら、もうボーっとするのを防ぐのは無理だな」と。以降、重要なタイミングでもちょこちょこボーっとしながら現在に至ります。一応は大学にも受かりましたし、今でも何だか生きてます。ボーっとしがちな人間でもやっていけるものなんでしょう。

 何なら1分1秒でも効率化しようと頑張る人が多い昨今だからなのか、「何もしない時間」を持つ大切さを説くような主張がチラホラ出てきています。

 「何もしない」という本も出ています。

 よく分かりませんが、ボーっとしていると何か得することがあるみたいです。私にもあったんでしょうか。よく分かりません。何となくリラックスしてる気はするんですが、それ以外は特に実感がありません。

 一応、ボーっとしていた時に考えたことを無駄にしないよう、あれこれ書き留めているのがこのnoteだったりするんです。ただ、たまに自分の書いたものを読み返すんですけれども、出てくる感想は大体「役に立つのか、これ」なんです。

 せめて皆様の暇つぶしになればと考えております。

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