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字が下手でも生きる

 私は字があまりうまくないせいか、お店で掲げているサインの字があんまりうまくないとなんか安心するんです。字が下手な同士ががんばっていると勝手に思うわけです。ええ、本当に勝手です。

 同時に、字が下手だけど色紙にサインを書かなければならない状況を想像してちょっと心臓の辺りがキュッと縮むわけです。「あんまり字がうまくないけど、いいっすか?」と申し訳なさそうに頭を下げるところまでハッキリと思い描くことができます。

 こんな状況なので、学生時代には字が汚いというだけで仲良くなった友人がいました。字を書けば「芸術が爆発している」といじられたり、「わ」と「れ」を間違って読まれたりと、そんなに生活に支障がないレベルでつらい目に遭っていたことが、互いの字を見た瞬間、一気に理解できるわけです。もうガッチリと握手をしたくなるくらい気分は高揚いたします。

 字の下手さはどちらかというとデメリットが多いんですが、先ほども書きました通り、多くは生活に支障がないわけです。しかし、汚い字がちょっと洒落にならない場合も一生のうち何度か訪れます。字を正確に読んでもらえないと困る時、例えば筆記試験の類です。

 試験は問題が解けるかどうかに重きが置かれるわけですが、我々のように字があんまりうまくない場合は、「せっかく書いた答えが読んでもらえなかったらどうしよう」という不安もセットでついてくるわけです。更には「字が汚いという理由で減点されたらどうしよう」という疑心暗鬼に陥る。例えば数学の筆記試験なんて、途中の計算が合ってるのに誤字で間違ってる風に見られ、減点されたことが原因で不合格になりかねない。

 他にも似たような不安を抱く学生はいたようで、私の高校では大学入試対策のための集会でわざわざ専門家を呼んで、「どんな字でも採点者は一生懸命読み取ろうとするし、字が汚いからといって減点することはない」と言ってもらったことがあります。そうは言ってもです。場合によっては汚い字がもう何よりも嫌いで、怒りのあまり反射的に減点をかますヤバい採点者に答案を託さなければいけない可能性はゼロではない。

 その上、この専門家が出した対処法は「落ち着いて丁寧に書けば採点者にも伝わる」というわけで、早い話が「がんばれ」と言われているようなものです。いや、瞬時に字がうまくなる方法なんてないのは何となく分かってましたけど、専門家からもそう言われると、「ああやっぱりないのか」と落胆したものです。

 実際の試験の記憶は緊張のせいかほとんど覚えていません。ただ、書かれた答えがちょっとでも雑に感じ、かつ残り時間が充分にあった場合は、一旦消しゴムで消して字を書き直した記憶はあります。その甲斐あったのかは知りませんが、私も字の汚い友人たちも、あの時の不安は何だったんだというくらい、みんな普通に試験をパスしました。

 その成功体験が今でも忘れられないのか、私の字は受験生だった当時と変わらぬクオリティを保っています。それだけでも、字が下手でも何とかなるとお分かりいただけるかと存じます。敢えて私の例を出すまでもないでしょうけれども。

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