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基礎と応用、ゴミ屋敷とミニマリスト

 いろんなところに基礎と応用があります。基礎は「まず押さえるおかなきゃならないこと」みたいな意味合いが強いです。野球だったら体力づくりだったり、キャッチボールだったり、ピッチングやバッテイングの練習だったり、そんなところだと思います。応用は「実際に何かするため必要なこと」みたいな意味合いが強い。野球だったら試合に勝つため練る作戦なんかがそれでしょう。「基礎で身につけたものを実際に使うこと」と考えれば分かりやすいかもしれません。

 これが研究となると、ちょっと意味合いが変わってくるようです。応用研究は早い話が「社会の役に立つ研究」です。研究でできたものが割とすぐにみんなの役に立ってゆく。超高性能のコンピューターとか、滅茶苦茶早い飛行機とか、いろいろあると思います。一方、基礎研究は「社会の役に立つかどうかすぐには分からない研究」ではあります。ガチの専門家が心血を注いでやっているのは応用研究と同じなんですが、「こんなことして何の役に立つの?」と聞かれると弱いわけです。99%の人間が知らない生き物の研究なんかが該当すると思います。いつか何かの役には立つかもしれないけど、今のところはよく分からない。研究者の純粋な興味と情熱によって切り拓かれる分野とも言えます。

 これだけ聞くと「役に立ちそうな研究を優先的にやったほうがいいんじゃない」と考える方が当然いらっしゃると思うんです。野球の例から考えてもお察しの通り、「基礎をおろそかにして応用がうまくいくのか?」と考える方もいるのが自然でしょう。どちらがいい悪いではなく、大体その2派に分かれるだろうと思うんです。そして、研究を仕事にされてる方は「基礎も大事よ」派が圧倒的に多い印象です。それこそ、応用研究をされている方でも「基礎も大事よ」派閥に入ってたりする。だから、検索すると研究者がその手の主張をしている記事が簡単に出てきます。

 上記の記事を簡単にまとめると、基礎を大切にしたほうがいい主な理由は「どんな応用研究も基礎研究が土台になっている」であり、「基礎研究ができる余裕のある国って限られるんだから、やったほうがいいんじゃない」であり、「そもそも基礎と応用の境目も思ったよりハッキリしてないし」だと思われます。

 例えば、ドイツにヘルツという科学者がいました。

 ウィキペディアによりますと、彼は実験により、空気中に波のようなものが飛び交っていることを発見しました。その波はヘルツよりだいぶ年上の先輩科学者マクスウェルが「そういうのがあると思うんですよ、理論的に考えて」と予言していたものでした。だからなのか、波を見つけたヘルツはこんなようなことを言ったそうです。

「自分はマクスウェル先輩の言ってたことが正しいかどうか証明しただけで、この波が何かの役に立つことはないっすよ多分」

 その波は今では「電波」と呼ばれていまして、無線通信には欠かせないものとなっています。今ではみんながゴリゴリ使いまくってるスマートフォンも無線をバリバリ使いまくっているマシンの典型です。今では思いっ切り応用されてる電波も、ヘルツの生きていた19世紀には基礎研究だった。多くの学者はこういう例をいっぱい知ってるから「基礎も大事よ」派閥に所属しているのでしょう。

 とは言っても、研究だってお金が要ります。そして、お金は有限です。研究なら何でもかんでも支援する余裕なんて普通はありません。「今のところ何の役にも立ちませんけど、いつかは役に立つかもね」というものにお金を出そうとする人は当然ながら限られますし、場合によってはそういう研究を支援したと知った途端、「いやいや、そこに金かけんのおかしくない?」という方もいらっしゃるでしょう。

 基礎と応用、どちらをどれだけ大切にすればいいのか。それは大変難しいもので、私なんかがすぐに結論を出せるような問題ではございません。ただ、何かに似てると思ったんですよね。それが最近になって、分かったんです。ものを自宅に溜め込んでしまう人の問題に似てると。

 「いいな」と思って買ったり貰ったりしても、いざ家に持って帰るとちょっと使っただけで部屋の隅に放置してしまう。そういう方がたまにいらっしゃいます。そういう方を見て呆れる方もたまにいらっしゃいます。

 呆れる方としては「また無駄なものを」と思うわけです。お金はもちろん、自宅スペースも有限です。なのにガンガン買ってバンバン放置してはお金とスペースがダブルでもったいない。一方、買ったり貰ったりする方は「全部要るんだよ」と思うわけです。不測の事態が起きた時、たまたま家の奥に眠っていた物体がとても役に立った。無駄なものを片っ端から処分して部屋がガランとしている人にはできない芸当だろうと考えたりする。

 ただ問題なのは、全部が常に無駄ってわけじゃないけど、全部が常に役立ってるわけでもないという点です。ゴミ屋敷並にものがあふれた家の住民も逆にものがほとんどないミニマリストの方も、自身の特徴が役立ったこともあれば失敗したこともある。そもそも何がどれだけあればいいかなんて状況によって全然変わる。ベストな結論を出すのは難しいでしょう。ひょっとしたら永遠に片がつかない問題かもしれない。

 基礎と応用の問題もまた、永遠に結論が出ないのかもしれません。ただ言えるのは、どちらかに偏り過ぎるとまずい可能性が高いらしいというところでしょう。

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