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焼き鳥10本のテンション

 友人がスーパーで使える4000円分のクーポン券をゲットしたんです。早速、友人はそのクーポンをフルに使って、4000円分のクルミに交換してもらったんです。4000円ともなると結構な量なんです。友人がでかい袋につまったクルミを自宅で眺めてホクホクしていると、弟にこう言われたそうです。

「あつ森かよ」

 確かに、お金と大量の木の実をやりとりする様子は「あつまれ どうぶつの森」っぽいかもしれません。

 そこで友人は思ったそうです。同じものをたくさん買うと、人は何らかの特殊性を感じる。違和感と言っていいかもしれません。だから弟にツッコまれた。

 ただ、そこから友人は更に考えました。同じものをたくさん買うにしたって、ものによって違和感の度合いが違うと。例えば、人に「焼き鳥10本買ってきて」と頼み、実際に買ってきたのが「ねぎま10本」か「砂肝10本」かでは違和感が全然違う。ねぎまならばみんな当然のように焼き鳥を取っていくでしょうが、砂肝の場合は「何で砂肝?」と首をかしげる人が続出するでしょう。

 要はものには「まとめ買いして当然のもの」と「普通はまとめ買いしないもの」があり、それが違和感の差として出ているんだと思います。お米を20キロ買うと「家族が多いご家庭なんだな」くらいで済むのに、乾パンを20キロ買うと「核戦争にでも備えてんのか?」とビビる。そんなものが世の中にはいろいろあるんです。

 とまあ、そんな話を友人から聞かされていた私ですけれども、読んでいただいてお分かりの通り、大した話じゃないんです。その程度の違和感だったらまともに興味も湧かない。ねぎまと砂肝の差なんかで熱くならず、せめてカエルの串焼きやワニの姿焼きなんかとの差で熱くなってくれと思うわけです。お米や乾パンの買いだめ程度じゃなく、ドリアンを20キロ買いだめするまで出直してこいという話なんです。

 この友人は普段からそんな話ばかりしてきますし、それに対する私の態度も普段からやる気9割カット状態なので、その日もそんなくだらない話がひと段落するとふたりして家へ帰ることにしました。外はもう真っ暗です。このまま電車に乗って最寄りの駅に着く頃にはもう深夜の気配が感じられる、そんな時刻でした。

 電車に乗ろうと駅前まで来たのですが、隣のデパートをチラ見した友人は「せっかくだし、ちょっと寄っていこう」と言いました。昔から道草が好きな人でしたし、私もこの後の予定がなかったので立ち寄ることにしました。地下の総菜売り場では既に閉店間近で、残った食材を割引価格で売っている店も多く見られました。

 そこには焼き鳥専門店もありました。ここもまた閉店モードに入っていまして、焼き鳥をお得な値段で売っています。しかも、好きな串10本でいくらというザックリ勘定です。

 10本いくら。先ほどまでそんな話を熱弁していた友人は、再び情熱がぶり返しました。

「ほらほらほらほら、10本まとめ買いの店じゃん。やっぱあるじゃん」

 別にそんな店の存在を疑ったわけじゃなくて、そういう話に興味がなかっただけなんですが、友人の振り切れたテンションは留まることを知りません。

「さあ、何を買うよ。何を何本買うよ」

 焼き鳥屋の前で何をそんなワーワー言っているのか私にはよく分かりません。周囲の人もそうだったのか、焼き鳥を買いたそうにしていた男性も友人の謎の迫力に圧倒されて買おうにも買えない様子でした。私は言いました。

「俺はいいよ。で、何か買うの」
「いや、買わない」

 じゃあ、そのテンションで店の前にいるのは軽い営業妨害です。というわけで、私は友人の袖を引っ張って店の前から退散いたしました。

 今でも何でそんな理由でそんなテンションが上がったのか理解できていません。今後も理解できないと思います。

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