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M-1グランプリ各審査員の採点傾向を軽く調べました

 M-1グランプリはお笑い賞レースの中で最も注目されている大会のひとつであるため、審査員の得点については多くの方によって分析され、時に議論を呼び起こしてもいます。ただし、審査員個人の採点がどのように変化していったのかを調べたデータが見つかりませんでした。見たかったんですが。

 見たいなら自分で作ればいいやとすぐ思い直しまして、簡単ではありますが作ってみました。各得点のデータはウィキペディアの「M-1グランプリ」の項目から引用することにしました。

 個人の得点をご紹介する前に、まずは全体的な得点の変化を軽く見て参ります。

 大会ごとの平均点を出している方はいらっしゃったのですが、ついでなので自分で作りました。まずは表からです。全審査員の最高得点と最低得点、それから平均点をまとめました。2011年から2014年の休止期間は空欄となっております。

各大会の全審査員平均点・最高得点・最低得点

 これをグラフにするとこんな感じになります。縦軸が50点以上になっていますのでご容赦ください。

各大会の全審査員平均点・最高得点・最低得点

 平均点は上昇傾向にありまして、特に大会序盤の変化が著しいです。特に最低得点の変化が大きく、最初期には50点をつけられる場合もございましたが、2015年以降は80点を下回らなくなっています。全体の変化をザックリ表現すると以上のような感じになります。

 それでは、各審査員の得点変化に移りたいと思います。審査員のお名前が敬称略となっている場合がございますので、ご了承くださいませ。

 今回は得点の変化を見る関係上、審査員経験が2回以上ある方に限定いたしました。具体的には以下の方々となっています。名前の横の数値は審査員として出演した大会の年でございます。

2回
西川きよし:01 04
3回
春風亭小朝:01 04 17
博多大吉:16 17 22
4回
南原清隆:03 04 06 10
5回
島田洋七:02 03 04 05 06
立川志らく:18 19 20 21 22
塙宣之:18 19 20 21 22
6回
ラサール石井:01 02 03 04 05 07
渡辺正行:05 06 08 09 10 17
富澤たけし:15 18 19 20 21 22
7回
大竹まこと:02 03 04 05 06 07 08
8回
中川礼二:15 16 17 18 19 20 21 22
9回
島田紳助:01 02 03 05 06 07 08 09 10
中田カウス:02 03 04 05 06 07 08 09 10
オール巨人:07 08 09 16 17 18 19 20 21
上沼恵美子:07 08 09 16 17 18 19 20 21
16回
松本人志:01 02 03 05 06 07 08 09 10 16 17 18 19 20 21 22

 それでは、各審査員の得点変化を簡単に見て参ります。グラフには最高点と最低点、全体平均の他に個人平均も併せて載せてあります。グラフは出演した記録を等間隔に繋げた折れ線グラフとなっている関係上、1年後に出演した時も5年のブランク後に出演した時も同じ幅となっている点をご注意くださればと存じます。

1.西川きよし(2回出演)

 1966年から1989年にかけて漫才コンビ「横山やすし・西川きよし」として活動。審査員として参加したのは2001年と2004年の2回です。

 西川さんは2回しか出演していないためデータが少ないですが、それでも最高得点と最低得点の差が大きく、データのばらつきを表す数値「標準偏差」も高いというM-1初期審査員の特徴がハッキリと出ています。2001年から2004年の間に全体の平均点は上がっていますが、個人の採点に大きな変化がなく、結果として2004年は個人平均が全体平均を下回る形になっています。

2.春風亭小朝(3回出演)

 1970年、5代目春風亭柳朝に入門し落語家としての活動を開始、1980年に36人抜きで真打昇進。審査員としては2001年、2004年と審査した後、2017年に審査員として復帰。13年ぶりの審査員復帰は歴代審査員の中で最大となっています。

 小朝さんの特徴としては、大会によって採点の差が大きく、2001年の審査では最高と最低の得点差が25と3番目に大きい数値を誇っていますが、2017年の得点差は5と2番目に小さい数値となっています。標準偏差も約7.41から約1.48と大きな変化を示しています。その理由はグラフを見てもお分かりの通り、最低点が2017年にかけてグッと上がったためと思われます。

3.博多大吉(3回出演)

 1990年に博多華丸・大吉を結成し、現在に至るまで活動中。2014年にはTHE MANZAI で優勝しています。2016年、2017年と審査した後、しばらく間を開けてオール巨人さんの後釜に座る形で2022年に復帰しています。

 大吉さんは過去3回とも最高得点と最高得点の差が6点になっています。これは比較的得点幅が狭い2015年以降の審査員の中でも非常に狭いほうで、標準偏差も軒並み1.7前後とかなりまとまっています。グラフでもそれがよく現れています。

4.南原清隆(4回出演)

 1985年にウッチャンナンチャンを結成。ショートコントというジャンルを確立された人物のひとりと目されています。審査員としては2003年、2004年、2006年、2010年とコンビ歴10年時代に出演しています。

 南原さんは2010年以前の審査員全般に見られるように最高と最低の得点差は大き目で、標準偏差も高めです。ただ、そこまで強く傾向が出ているわけではないようです。グラフを見ても分かる通り、年を経るごとに得点が上昇傾向にあります。

5.島田洋七(5回出演)

 1972年に漫才コンビB&Bを結成、3人目の相方と1975年に結成するとブレイク、漫才ブームの火付け役となります。審査員としては2002年から2006年にかけて毎年出演しています。

 洋七さんは2010年以前の審査員全般に見られるように最高と最低の得点差は大きく、標準偏差も同様の傾向があります。グラフではあまり大会ごとに差が見られず、おおよそ横ばいとなっています。最高得点が必ず96点を上回ってまして、この頃の審査員としては高いほうです。

6.塙宣之(5回出演)

 2000年にナイツを結成。M-1では3度の決勝進出経験があり、2011年にはTHE MANZAI で準優勝しています。審査員としては今のところ2018年以降、毎年出演しています。

 塙さんの2018年は最高と最低の得点差が16となっており、これは2015年以降の審査員では最大となっています。ただ、個人平均は全体平均とほぼ同じとなっています。標準偏差は年によって差があり、2018年と2020年は4を上回っていますが、2021年は約1.73とかなりまとまっています。

7.立川志らく(5回出演)

 1985年に七代目立川談志に入門し、落語家としての活動を開始。1995年に真打昇進。審査員としては塙さんと同様、今のところは2018年以降、毎年出演しています。

 志らくさんの得点傾向としては、今回のまとめ方ですとあまり特徴のないのが特徴となっています。グラフは平坦でありつつも、平均得点が微増しています。

8.ラサール石井(6回出演)

 大学在学中に劇団の養成所へ入所し、後輩ふたりと「コント赤信号」を結成。審査員としてはM-1の初期常連であり、2001年から2005年と2007年に出演しています。

 2010年以前の審査員全体に言えることですが、石井さんは最高と最低の得点差が大会ごとに高く、標準偏差も大き目です。年を経るごとに個人平均点は徐々に上昇し、全体平均よりも高めである場合が多いです。特に最低点の上昇が際立っています。

9.渡辺正行(6回出演)

 大学在学中に劇団の養成所へ入所し、ラサール石井さんらと「コント赤信号」を結成。審査員としては2005年、2006年、2008年から2010年とコンビ歴10年時代のM-1後期に多く出演し、2017年にも出演しています。

 渡辺さんは最高と最低の得点差が低めで、2010年以前では最も小さい7点を2度記録、標準偏差もコンビ歴10年時代では最小記録を持っていることから、評価の幅が狭い傾向が強く出ています。その理由は最高点が毎回低めになっているためで、個人平均が全体平均よりも少し低く出ている原因にもなっています。

10.富澤たけし(6回出演)

 1998年にコンビ結成。いくつかの名前を経てサンドウィッチマンとして活動を始めます。2007年にM-1グランプリで優勝。審査員としてはM-1チャンピオンが審査員をした2015年に初出演し、2018年に審査員へ復帰後は毎年審査員をしています。

 富澤さんは最高点と最低点の幅が狭く、標準偏差も小さい傾向にあります。最低点に比べて最高点が大会ごとに差があります。

11.大竹まこと(7回出演)

 1979年に同じ劇団の仲間ふたりとシティボーイズを結成。審査員としては2002年から2008年に出演、コンビ歴10年時代のM-1中期を支えました。

 大竹さんは年によって得点傾向にばらつきがありますが、基本的には個人平均は全体平均よりも低めになっています。最低点が低いのも一因ですが、最高点を低めにつけている方が影響としては大きそうです。

12.中川礼二(8回出演)

 1992年に兄と中川家を結成。2001年にM-1グランプリ初代王者となります。審査員としては歴代M-1チャンピオンが審査員となった2015年をきっかけに毎年出演しています。コンビ歴15年となった2015年以降では唯一の皆勤賞です。

 礼二さんは毎年、最高点は95点前後、最低点は80点台後半、点差は6~8で安定しています。2015年以降の審査員には全体的に見られる傾向でしが、標準偏差は小さめです。ただし、極端に小さいわけではありません。

13.島田紳助(9回出演)

 1977年に島田紳助・松本竜介を結成し、1985年の解散後は2011年の引退まで司会業やプロデューサーなどで活躍。M-1グランプリの立ち上げにもかかわった人物です。審査員としては、芸能活動を自粛していた2004年を除き、2001年から2010年まで毎年出演しています。

 紳助さんは50点をつけた数少ない審査員のひとりであり、一方で100点をつけた唯一の審査員でもあります。また、2001年は最高と最低の得点差が30点で、これは立川談志さん(1回出演)と並んで最大です。ただし、その割には個人平均が全体平均からそこまで外れていません。以降も最高と最低の得点差が大き目な傾向が続きますが、2008年だけは得点差が8点とかなり狭くなっています。

14.中田カウス(9回出演)

 1967年に中田カウス・ボタンを結成し、様々な賞を受賞します。審査員としては2002年から2010年まで毎年出演、コンビ歴10年時代のM-1を支えた人物です。

 カウスさんは2010年以前の審査員では点数が高い傾向があり、特に最高点はほぼ96点を上回っています。ただ、最低点を中心に得点傾向は大会ごとに異なっており、それが個人平均のグラフに出ています。

15.上沼恵美子(9回出演)

 1971年に姉と海原千里・万里を結成し、1977年に結婚を機に解散、1978年に芸能界復帰して現在に至ります。審査員としては2007年から2009年と2016年から2021年に出演。コンビ歴10年時代の後半から最近まで長く審査を続けています。

 上沼さんは2020年に最高と最低の得点差が3点という非常にまとまった審査をしており、この3点は最も小さい得点差となっています。この年は標準偏差も約1.04となっていて、これも最小です。そうかと思えば最高と最低で14点差をつけることもあり、これは2015年以降ではかなり大きいほうです。個人平均を見れば全体平均よりも高い傾向が強いですが、最低点の数値が大会によってブレがあります。

16.オール巨人(9回出演)

 1975年にオール阪神・巨人を結成、現在も吉本を代表するベテラン漫才コンビとして活動しています。審査員としては上沼恵美子さんと同じく2007年から2009年と2016年から2021年に出演しています。

 巨人さんは個人平均が全体平均よりも低い傾向が強く、最高点を95点以下に抑える年が多いです。2010年以前も2015年以降も標準偏差は小さめで、各大会で得点があまりばらつかない形になっています。

17.松本人志(16回出演)

 1982年にダウンタウンを結成。ピンでの活動を含め、現在に至るまでお笑いの第一線で活躍し続けています。審査員としては島田紳助さんの活動自粛に合わせて出演を見送った2004年と歴代M-1チャンピオンが審査員をした2015年以外の全てに出演しています。

 松本さんの2001年の審査は最高得点さえ全体平均を下回っており、これは全審査員で唯一です。また、初期は組ごとの採点にばらつきが大きく、標準偏差が9を上回るのは松本さんだけで、しかも2回記録しています。その後は年を経るごとに採点傾向が急速に変化し、近年は個人平均が全体平均より少し低めの採点になっています。標準偏差は最近でも他の審査員に比べて大きい、つまり採点にばらつきがある傾向が強くなっています。最高得点は毎年95点でほぼ固定、それに比べて最低得点は大会ごとに差があります。

18.おわりに

 いかがでしたでしょうか。基本的には回を追うごとに得点が上昇傾向にありますけれども、やはり審査員ごとに採点の傾向は異なっていたように思います。少ないデータを単純な計算で分析していますので、浅い部分しか見れておりませんが、何となく「みんなこんな風に採点していったんだなあ」と思ってくだされば幸いです。

 今回は以上となります。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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