見出し画像

いつかは学校でドラゴンクエスト感想文

 読書感想文を真面目にやった記憶がありません。ご丁寧に「感想文にはこういう本がいいよ」みたいな課題図書が紹介されたりしているんですが、その本を読むのがまず面倒でした。結局、締め切り直前になってその辺の本をパパッと読んで適当に書く。そうやって凌げればまだいいほうで、出さずに済ませたことも何回かあったような気がします。たぶん成績に響いたと思うんですが、学校はちゃんと卒業できたみたいです。

 大人になって改めて小中学生の課題図書に指定された本を読む機会がありました。ものにもよりますが、ちゃんといい話なんです。単なる教訓めいた話に留まっておらず、普通に夢中になれる。でも、子供の頃の私がこれを率先して読んだかと言うと、まず有り得ない。他に楽しいものがたくさんあるんです。そう、本以外にも漫画とか映画とかゲームとか、大人が子供を楽しませようとマジになって作ったものは周囲に溢れている。そこへ読書を宿題として持ってきても、まあ相手が悪い。そもそも教育の一環として本を読ませようとしている時点で不利なわけです。どんなにいいものだって強制させるとそれだけでどこか良さが失われてしまうんです。

 本来、物語を楽しむ行為は娯楽の一種で、それは今も変わりありません。ただ、それがいつから始まったかはどうもよく分かっていないようで、例えば寓話でお馴染みのイソップは紀元前500年よりも前に生まれたとコトバンクには書かれています。今からざっと2500年前です。

 文字になった物語を楽しむようになったのがいつなのかも、軽く調べてみた程度ではよく分かりません。グーテンベルクの活版印刷が始まったのは15世紀、つまり今から500~600年前ですが、印刷自体は千年以上前から行われており、そこから現在に至るまでのどこかの段階で読書というものが生まれたのかもしれません。つまり、最大で千年、最小でも数百年の歴史がある。

 それだけの歴史があれば宿題にもなるよな、と思いました。読書は現在生きている全ての人類に通じる娯楽どころか、人類最高齢の方のひいおじいちゃんでさえ余裕でカバーできる歴史があります。他の娯楽だとそうはいきません。例えば映画は19世紀の終わりに映像を作れるようになり、現存する最古のフィルム「ラウンドヘイの庭の場面」は1888年の作品なんだそうです。100年以上の歴史を誇りますが、本と比べると激浅と言っていい。

 テレビゲームとなると更にペーペーで、テレビゲーム自体の黎明期が1950年代、家庭用ゲーム機となると1972年に発売されたものが最初期のようです。

 つまり、子供の頃にテレビゲームのなかった世代がまだ普通にご存命なわけで、テレビゲームは非常に新しい娯楽なんです。読書感想文みたいにゲームをやらせて感想文を求めるようになりようがない。

 数百年先の未来だったら映画やテレビゲームも歴史を重ねに重ねているでしょうし、世の中にはもっと別の新しい娯楽であふれていると思うんです。そうなれば、映画感想文とかテレビゲームレポートが夏休みの宿題として子供たちを地味に苦しめるのかもしれません。「ドラゴンクエストみたいな訳の分かんないもので感想文なんて書きたくねえよダルいし」みたいな感じで。

 逆を言うと読書感想文は大昔の人から見れば「遊んだ感想を書くのが宿題なんて贅沢なもんだな」と思うのかもしれません。同じ土地でも時代が変われば価値観が変わってくる。当たり前と言えば当たり前だけど、なんか不思議な現象です。

この記事が参加している募集

#読書感想文

192,504件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?