「けんちゃん、ごめん」大好きな彼女が、突然他サポになった日
「けんちゃん、ごめん」
自宅のデスクで仕事をしていると、彼女から一通のLINEが入った。
何だろう。そういえば冷蔵庫に入れておいたはずのプリンがいつの間にか食べられていたっけ。
ぼくは甘いものに目がない。とりわけプリンは大好物だ。彼女もそのことはよく知っているはず。だからそのことを謝罪しているのだろう。
ところが、返ってきたのは思いもよらない言葉だった。
「今夜のNACK、行けなくなっちゃった」
ぼくらは大宮アルディージャvsいわてグル―ジャ盛岡の試合を観戦する予定にしていた。
「どうしたの?」
ぼくらはなかなか週末の予定が合わず、今季に入ってからはほとんど2人で観戦することができていなかった。
グル―ジャ戦も当初はぼくだけが参戦する予定だったのだが、グル―ジャに新型コロナウイルス感染者が相次いだことによって試合が延期。平日開催に切り替わったことによって、久々の2人観戦が実現した。
ぼくは大宮の自宅から。彼女は都内のオフィスから。お互いの仕事終わりに大宮駅の「まめの木」で集合し、スタジアムに向かおうなんて話をしていた。
試合が終わったらすずらん通りか一番街あたりで祝杯でもあげようか。昨日の夜も寝る前にわいわい話をしていたのだが、さしずめ仕事関係の予定でも入ってしまったのだろう。
「お仕事関係?こっちは代わり探すから行ってきなよ!」
そう言うと彼女は
「職場の人たちとマリノス観に行くんだ。ごめんね」
彼女が勤める会社は数年前から横浜F・マリノスのスポンサーをしている。日産スタジアムで行われるマリノスのホームゲームのチケットももらえるらしく、彼女も職場の人たちとときどき観に行っていた。上司や同僚にもマリノスのサポーターが多くいるようだ。
その日は埼玉スタジアムで浦和レッズとマリノスの試合が組まれていた。アウェイゲームなので当然会社からチケットをもらうことはできないが、職場の会議などでもマリノスが話題にのぼることが多く、仕事終わりに埼玉方面のメンバー中心に応援に行こうという流れになったそうだ。
「浦和戦か。徹底的に叩き潰してくれよ!」
ぼくはNACK、彼女は埼スタ。それぞれの今夜の予定が決まった。
アルディージャはJ2残留を争うグル―ジャにホームで痛恨の敗戦。試合前から解任論も噴出していた霜田正浩前監督にとどめを刺す結果となってしまった。
一方のマリノスも前半を3-0で折り返しながら、後半だけでキャスパー・ユンカーにハットトリックを食らい追いつかれるというあまり後味の良くない内容で引き分け。
最寄り駅である指扇の改札で合流し、駅前の日高屋でお互い愚痴をこぼしながら酒を飲み交わした。
「私、マリノスを応援する」
しこたま酒を飲み、歩いて家に帰る。互いに風呂を済ませてベッドで横になったときだった。
「ちょっと残念なお知らせなんだけど」
なんだろう。そろそろプリンを食べたことを詫びてくれるのだろうか。もうコンビニで新しいのを買い直してしまったよ。
「今日から私、マリノスを応援することに決めたの」
突然の告白だった。
ぼくと付き合うまではサッカーそのものに全く関心が無かった彼女。3年前にNACK5スタジアムでアルディージャvsジェフユナイテッド千葉の試合を観戦したのが、彼女がサッカーにハマった最初のきっかけだ。その模様は書籍『すたすたぐるぐる埼玉編』に詳しい。
J1昇格プレーオフ敗退でともに涙も流した。西大宮の練習場にも何度も二人で足を運んだ。笑顔でサインに応じる酒井宣福選手(現名古屋グランパス)にデレデレの彼女にやきもちを焼いたのも昨日のことのようだ。
NACK5スタジアム大宮はもちろん、ケーズデンキスタジアム水戸やカンセキスタジアムとちぎ、正田醤油スタジアム群馬などといった近場のアウェイゲームにも一緒に足を運んだ。就寝時にはアルディとミーヤのぬいぐるみを必ず枕元に置いていた。
しかし彼女が勤めるのはマリノスのスポンサー企業。職場にもたくさんマリノスサポーターがいる。もしかすると知らぬ間に変なプレッシャーをかけていたのかもしれない。
「そうかぁ。マリノスは強いし、サッカーも攻撃的で面白いもんな」
嬉しくてたまらない彼女の成長
それから一週間後、ぼくと彼女の姿は静岡県にあった。
目的地は磐田市のヤマハスタジアム。彼女からの衝撃の告白の直後、ぼくらは急いでマリノスの日程を確認。たまたま二人とも一日予定が空いていた日にジュビロ磐田vsマリノスの試合が組まれていたため、急遽この試合を観に行くことにしたのだ。
ジュビロには昨季までアルディージャでプレーし、ぼくも特にお気に入りだった黒川淳史選手が在籍している。率いるのもアルディージャと縁の深い伊藤彰監督と渋谷洋樹コーチの名コンビだ。ぼくにとっても決して悪いカードではない。
彼女がマリノスサポーターになると公言してから初めてのマリノス戦。試合はマリノスが2-0で見事に勝利を収めた。
彼女が特に好きだという渡辺皓太選手もしっかりスタメンで出場。ボランチとして攻守に躍動していた。1ゴール1アシストの活躍を見せた仲川輝人選手にも目を輝かせていて、またやきもちを焼いてしまった。
大勢のマリノスサポーターが磐田の地まで訪れていて、雰囲気もまるでマリノスのホームゲームのよう。彼女がマリノスサポーターとして気持ちが固まるには十分すぎる試合だった。
楽しみなスタジアム内別居
他サポ同士になってしまった我が家。彼女がマリノスの選手やサポーターに心躍らせる姿を真横で見て、ぼくは不思議と嬉しい気持ちになった。
一緒にアルディージャを応援し続けるとばかり勝手に思い込んでいたのが、そうではなくなってしまったのだ。複雑な心境になっても不思議ではなかろう。でも、なんでだろうか。
分かった!
彼女がサッカー自体を好きになってくれていることが嬉しいんだ!
きっと職場で日常的にマリノスの話をし、日産スタジアムにも足を運ぶ中でどんどん愛着がわいてきたのだろう。
応援するチームが違っても、われわれJリーグサポーターは同じサッカーを愛する仲間だ。応援するチームは別々になってしまったが、彼女は「アルディージャサポーターの彼氏に染められた女の子」から「自らの意志でマリノスを応援することに決めたサポーター」へと進化した。
同じクラブのサポーター同士で話すのもたまらなく楽しいが、ぼくは違うクラブのサポーターとサッカーについて語り合うのが輪をかけて大好きだ。応援しているクラブが違えば当然目線も異なる。自分とは違う目線を持った人の話は、サッカーに限らず非常に新鮮だ。
その話し相手が一番身近に生まれたのだ。実際彼女はぼくよりも今のマリノスについてよっぽどよく知っている。
大好きな渡辺皓太の魅力や、ボランチコンビを組む藤田譲瑠チマ選手がヴェルディのアカデミー時代からの付き合いであることをぼくに説明するさまは、まるで3年前彼女にアルディージャについて熱心にプレゼンしていた頃のぼくのようであった。
「マリノスとアルディージャが対戦することになったらスタジアム内別居だね」
彼女が笑いながら言う。実現するのはいつになるだろうか。またひとつ、J1昇格を目指す理由が増えた。
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